賠償金を「もらった者/そうでない者」 東日本大震災がもたらした今なお深刻な住民分断のリアル

社会

公開日:2019/3/9

『震災バブルの怪物たち』(屋敷康蔵/鉄人社)

 3月11日が近づいてくると、メディアでは東日本大震災関連の報道が増える。その多くは、いまだ復興の道半ばで苦労している人々の姿、あるいは必死に復興をはたした人々のたくましさといったものを描写する。それらが震災の一面の真実であることは確かだろう。だが、被災地の現場には、単純な同情や美談だけではわりきれない複雑な事情が、いまも存在しているという。

 そのひとつが、同じ被災地住民でありながら、国からの生活再建支援金や原発事故による東京電力からの賠償金を、「もらった者」と「もらい損ねた者」という深刻な分断である。そんな東日本大震災の陰の部分を克明に記したのが『震災バブルの怪物たち』(屋敷康蔵/鉄人社)だ。

 著者は震災当時、福島県いわき市の大手住宅メーカーに勤めており、妻の実家が福島第一原発から3キロ北にある双葉町にあったという、いわば当事者中の当事者である。

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■震災後の支援金が、同じ市内に格差を生んだ――

 著者によれば、震災の直後には住民同士が団結し、助け合う空気が確実に存在したという。しかし、震災の2カ月後に国からの生活再建支援金が出るようになってから、ようすがおかしくなりだしたという。支援金が支払われる基準は、
(1)一部損壊=0円
(2)半壊以上でやむをえず建物解体=100万円
(3)大規模半壊=50万円
(4)全壊=100万円
というものだったが、家屋の損壊具合の判断は役所の人間の主観であり、また(2)の「やむをえず」というのは極めてあいまいな基準であった。そのため、同じような壊れ具合でも、一部損壊と判断されるケースもあれば、半壊と判断されるケースもあり、住民同士の対立を招いてしまう。一部の住民のなかには、自分の手で自宅を破壊しはじめる者すらいたという。

■原発事故の賠償金は、住民格差の不満の火種に

 さらに住民の分断を深めてしまったのが、東電からの原発事故に対する賠償金だった。賠償金額は平均的な4人世帯で約6300万円~1億円超という莫大なものだったが、支払われる対象者は原発から半径30キロ圏内に住んでいた人たちだけだった。

 いわき市はちょうどその30キロ圏内の境目に位置しており、市内の一部は範囲内だが、大半は範囲外であった。しかし、原発から29キロのところに住んでいた人と、31キロのところに住んでいた人で、原発事故による身体的、精神的苦痛にどれほど差があるというのだろうか。

 その後、原発30キロ圏内の相双地区から、避難者が大量にいわき市に流入してくると、被災者同士の対立はいっそう深刻化した。同じ市内に「1億円をもらっている人」と「1円ももらっていない人」が隣り合うことで、その格差に対する不満が爆発したのだ。その結果、いわき市役所の入口に「被災者帰れ!」という落書きがされたり、仮設住宅の窓ガラスが割られたりといった事件が起きる。

 本書を読み通して辛いのは、「ではどうすれば良かったのか?」という明確な答えを、誰も持ち合わせていないことだ。いわき市を含む福島県全域が賠償の範囲内となっていれば、住民の分断は起こらなかったかもしれない。だが、著書自身が書いているように、「(そうなったら)おそらくとなりの北茨城の住民は黙っていないだろう。結局どこで線引きしても同じ現象は避けられないかもしれない」ということになる。つまり、社会学がいうところの「包摂は排除を必然的に伴う」という摂理はかならず働く。

 巨大地震は日本中どこでも起こりうる。私たちとしては、いつ自分の身に降りかかってもおかしくない話として読むほかない。

文=奈落一騎/バーネット