ワケあって“偽装夫婦”になりました――優しい海辺の町で2人が紡ぐ、美味しい紅茶と家族の物語『ニセモノ夫婦の紅茶店』

文芸・カルチャー

2019/3/30

『ニセモノ夫婦の紅茶店~あなたを迎える幸せの一杯~』(神戸遥真/KADOKAWA)

 想像してみてください、「お茶でも淹れようか」と思うとき。朝ごはんの前、新しい一日をはじめる目覚ましとして。友達が遊びにきたとき、楽しいおしゃべりのお供として。仕事が煮詰まってしまったとき、心をゆるめる息抜きとして。そんなふうに紅茶は、『ニセモノ夫婦の紅茶店~あなたを迎える幸せの一杯~』(神戸遥真/KADOKAWA)の登場人物にとっても、人生のあるひととき、ふと歩みを止めてこれからを考えるためのキーアイテムとなっている。

 房総半島の最南端、JR館山駅から歩き続けてどれくらい経っただろう。行木あやめ・21歳は、生活の一切を詰め込んだスーツケースを抱えて途方に暮れていた。昨夜自宅に帰ったら、勤めているヘアサロンのオーナーで、同棲相手でもある男の浮気現場に踏み込んでしまい、衝動的に飛び出してきたのだ。

 目の前には海、疲れた身体はもう限界。仕事は無断欠勤したし、スマホは捨てた。なにをする気にもなれず砂浜で膝を抱えていると、背後から声がかかる。「自殺でもするんですか?」。海辺の紅茶専門店「Tea Room 渚」を営む銀縁メガネの毒舌オーナー、佐山秀二との出会いだった。

「紅茶って、ちゃんと淹れると意外と手間がかかるんですね」
 私の言葉に男は顔を上げた。
「新鮮で良質な茶葉を使う。ティーポットを温める。茶葉の分量を量る。沸騰した瞬間の熱湯を使う。茶葉を蒸らす間、ゆっくりと待つ。──ゴールデンルールを守ろうと思えば、それなりに手間はかかって当然です」

 秀二が淹れた紅茶はおいしく、あやめはひさしぶりに寛いだ時間を過ごす。しかしこの秀二、繊細な味わいの紅茶は淹れられても、家電の扱いに関してはポンコツだった。洗濯機は壊す、掃除機は解体する、プリンターは接続できず、挙げ句の果てにはスチールラックまで壊しかける。そんな彼を見るに見かねて、そしてみずからの寝床を確保するために、あやめは店の手伝いを申し出た。

 けれどそのとき、ふたりはすでに、ご近所さんから若夫婦だという厄介な勘違いをされていた。誤解を解くのは面倒だ、いっそその設定で働いてもらう──そんな秀二の提案を受け入れ、あやめは彼と4つのルールを決めた上で、“偽りの夫婦”としての共同生活をはじめるのだが――。

「Tea Room 渚」を訪れるのは、さまざまな事情を抱えたお客さん。秀二の紅茶が彼らの本音を抽出する一方で、“偽りの夫婦”の関係も、その濃度を変えてゆく。独立心旺盛なようで寂しがりやのあやめ、口は悪いがお人好しでやさしい秀二。茶葉には、その産地の名前がついていることが多いという。このふたりも例に漏れず、生まれ育った環境に、なにやら事情があるようで……?

 ルールを守り、丁寧に淹れた紅茶はおいしい。それは人間だって同じだろう。いくら家族であったとしても、無条件にわかってもらえると思ったら大間違いだ。自分の気持ちも、またしかり。手間をかけ、きちんと向き合おうとしなければ、本当の味はわからない。じっくりとつき合えば、もっと味わい深いものかもしれない。

 白壁の駅舎の館山駅、館山湾花火大会、日本三代金運神社の安房神社など、千葉に実在する風景の描写も楽しい、紅茶と家族の物語。ほっとひと息入れられる時間、紅茶とともにお楽しみください。

文=三田ゆき