“捨てられない”姑の遺品、嫁の私が片づけるの?――『姑の遺品整理は、迷惑です』

文芸・カルチャー

2019/4/12

『姑の遺品整理は、迷惑です』(垣谷美雨/双葉社)

『夫の墓には入りません』『老後の資金がありません』(ともに中央公論新社)など、誰もがどきりとするテーマを中心に、精力的な執筆を続ける垣谷美雨氏。今回、そんな彼女が選んだテーマは、「遺品整理」だ。『姑の遺品整理は、迷惑です』(垣谷美雨/双葉社)というタイトルだけを見ても、結婚している人の多くが強い共感を覚えるだろう。そう、本書はフィクションでありながら、決して他人事ではないリアルな問題を描いた作品なのだ。

 主人公の望登子(もとこ)は、自宅から片道1時間半もかかる古びた団地に足を踏み入れていた。先日、一人っ子の夫の実母、つまり望登子にとっては姑が、脳梗塞であっけなく逝ったのだ。夫は残業続きで忙しく、遺品整理には手が回らない。しかし、団地は賃貸なので、放っておけば賃料がかかる。片づけ業者を頼むには、まとまったお金が必要だ。パート勤務の自分が、姑の住まいを片づけるしかない。

 そして──姑の家をあらためた望登子は、呆然とした。姑は、“捨てられない人”だったのだ!

 古い団地のたっぷりとした収納スペースには、頭が痛くなるほど物が詰め込まれていた。大きなタンスには亡くなった舅のスーツがぎっしり、床には古新聞や通信販売のパンフレットが所狭しと置かれている。本棚には古色蒼然とした百科事典、押し入れには大家族並みの量の布団、食器棚には30歳になる孫が小さいころに揃えた食器……。

 姑の部屋は4階にあるのだが、この団地にはエレベーターがない。ゴミを出すなら、望登子が重いゴミを持って、階段を上り下りすることになりそうだ。ゴミを出すのも有料だし、粗大ゴミは出せる点数に制限がある。その上、隣家の女性のもとには、丸々と太ったウサギまで預けっぱなしだという。

 戦中戦後、物のない時代を生きた姑が物を捨てられないことは、百歩譲って理解できる。それでも、望登子の実母は、寂しくなるほどきっちりと身辺を整理して亡くなったのに。おまけに夫は、なにもしないくせに口だけは出し、土産物の人形まで「捨てたりしちゃダメだよ」などと言う始末。姑の遺品整理に通ううち、望登子の胸には、実母に対するさまざまな感情までもが入り乱れるようになり……。

最初から業者に任せてしまう人もいる。中には、現地に一度も足を運ばない人もいると聞いたことがある。そういう人たちは、自分の過去や親との関係に向き合わずに済むのだろうか。(中略)
だけど、自分の心の整理のためには必要なことだったという気もしている。
二ヶ月後に全てを片づけ、団地の管理事務所に鍵を返そう。そうすれば、あの部屋には二度と立ち入りができなくなり、本当にさよならだ。

 望登子が片づける家の中は、“捨てられない人あるある”のオンパレード。読んでいて笑ってしまうのだが、実家の様子を思い浮かべて、自分の身にも同じことが起こるのでは……とぞっとする。

 あらゆる人が経験しうる、近親者の死とその後の時間。人が遺すモノはもちろん、心をもユーモラスに描き出す一冊だ。

文=三田ゆき