実際に起きた凄惨な事件がモデル――戦争中の闇、忖度文化が生んだ罪と戦犯裁判を通じて見いだされる希望とは?

文芸・カルチャー

2019/4/16

『真実の航跡』(伊東潤/集英社)

一手先さえ読めない者がいる。

 戦争中の話だからといってまるで他人事じゃない、と小説『真実の航跡』(伊東潤/集英社)を読んで背筋を正したのは、このセリフが発せられたときだ。BC級戦犯として起訴された軍艦「久慈」の艦長・乾について、弁護士の河合と鮫島が意見を交わす場面である。

 直前にこんなセリフもあった。

その決断には一貫性も大局観もなく、その場その場で、眼前に置かれた選択肢のよいと思う方を選んでいるだけだ。

 それは多くの大人たちが、仕事の現場で犯しがちなミスではないだろうか。それをしたら、次にどうなるか。一瞬、冷静になって考えればわかることを、考えられずに悪手をうつ。追い詰められた焦りで悪手を重ね、ますます目先のことしか考えられなくなる。

 その結果、乾が招いてしまったのが「ダートマス・ケース」。昭和19年3月に実際に起きた、「ビハール号事件」がモデルとなった事件である。

 昭和19年3月、大日本帝国の軍艦「久慈」は、インド洋でイギリス商船「ダートマス号」を撃沈する。艦長の乾は、112名の捕虜のうち69名を、救助したのち殺害。海に捨てた。

 乾は、「久慈」が所属していた第16戦隊の司令官・五十嵐とともに、戦後のBC級戦犯裁判にて起訴される。弁護士として派遣されたのが、若い河合と鮫島だ。鮫島は五十嵐を担当し、死刑は確定とされる彼の罪を少しでも軽くしようと真実を追求しようとするが、それは司令された立場でまだしも罪が軽いとされる乾を、追い詰めることにつながっていく。

 上官の命令は絶対。それは戦時の軍人にとって悲劇だ。こんな非人道的なことはしたくない。そう思っても、口にできない。そしてもう一つの悲劇は、今なお日本に残る――今以上に強かったと思われる「忖度」の文化だ。

 五十嵐に下された司令には「敵船は基本的に拿捕。やむを得ない場合は撃沈」「必要最低限の捕虜を除いて、すべての捕虜を処分せよ」と書かれていた。処分とはどういうことかは明言されなかった。状況に応じて忖度せよ、ということだ。乾にはそれができなかった。徹底的に空気が読めなかった。自分は正しいと信じ込み、己の能力を過信して、拿捕か撃沈かの判断を誤り、ダートマス号の乗員を見捨てることもできず、捕虜を最悪の形で処分するしかなくなったのだ。この、処分の描写は目を背けたくなるほど、つらい。だが、乾の罪の重さと同時に、のしかかってくるのは「言わなくてもわかるだろう!」の愚かさである。

 そのすべてを自覚しながら、すべてに口をつぐみ、五十嵐は死刑を甘んじて受け入れようとしていた。罪人であり、誇り高き軍人でもある五十嵐の姿に、鮫島は真実を求め続ける。曖昧な忖度ではなく法の明確さによって日本の未来を切り開いていくため、覚悟をもって裁判に臨むのだ。その過程を通じて描かれる真実に決して目を背けてはならないし、見いだされた希望を読者は決して忘れてはいけない。そう強く思わされる一冊だった。

文=立花もも