女が男を“喰らう”ことで妊娠する――。ディストピアな近未来を舞台にしたSF小説『ピュア』で描かれる、真実の愛とは

文芸・カルチャー

更新日:2019/5/23

 いま、SNS上を騒がせているひとつのSF小説がある。『SFマガジン』6月号で発表された、作家・小野美由紀さんによる『ピュア』だ。本作はWEB上で全文公開するという、紙とWEBの連動も取り入れ、2万4000字にも及ぶ分量にもかかわらず、読了する人が続出。結果、わずか数日で約14万PVを記録した。

 本作の主人公は“学園星ユング”で生活するユミという少女。友人であるヒトミやマミとともに、月に1度地上に降り立ち、“男を狩る”ことが義務付けられており、卒業後には上級士官として軍に服役することが定められている。

 この“男を狩る”という行為は、文字通りの意味。彼女たちは地上に住む男たちを襲い、セックスし、最終的には“喰らう”のである。射精し、放心状態の男の喉元に食らいつき、臓物を咀嚼し、食べることで彼女たちは“受精”する。そして、子どもを出産したメスは称賛され、“名誉女性”になることができるという。

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 まるでディストピアのような世界観。SF小説というだけあって、その想像の斜め上をいく設定には舌を巻く。けれど、これは決して突飛な物語ではない。闘いに駆り出され、出産することがなによりも素晴らしいことだと言われ、しかし、それに疑問を抱くユミは、まるで異端児を見るような目を向けられてしまう。まさにそれは、現代に生きる女性そのものではないだろうか。男女平等が謳われているにもかかわらず、依然として女性が社会で活躍するためにはさまざまな障壁があり、この世は戦場だ。子どもを持たないという選択肢が珍しいものではなくなっているものの、それでも“出産”に対する圧力は消えていない。そんな世の中で、ユミのように生きづらさを抱えている女性は珍しくない。

 小野さんは、2015年に上梓したエッセイ『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』(幻冬舎)のなかでも、自身が感じてきた生きづらさを丁寧に言語化している。就活に失敗し、自分の価値がわからなくなってしまったこと。社会に適応できない自分の不甲斐なさ。生きたいのに、どうしたって生きづらい世の中。それらに対する想いを、懸命に文章と向き合い、綴っている。そして、本作『ピュア』でも、小野さんは女性が女性として生きることをつぶさに見つめ、物語として昇華させた。

 以前、小野さんとお会いしたときに、彼女は「ファンタジーが書きたい。そこでしか表現できないことがある」と仰っていた。正直、そのときは小野さんの真意がわからなかった。しかし、本作を読んで、ようやくその意味を理解することができたように思う。彼女は現実世界で起きている問題をメタファーという手法をもって描くことで、人の心により深く届けようとしているのではないか。問題意識をストレートに描くのではなく、寓話的な物語を使い、ひとりでも多くの人に届けようとしているのではないか。その姿勢に、率直に言って、感銘を受けた。

 また、本作のラストにはこんな一文が登場する。

“女になんかぜってー食われたくないって思ってたけどさ、お前にだったら、いいよ……俺、なんつーかさ、お前にだったら遺されたい。お前ん中に遺されたいよ”

 これはユミが地上で出会い、恋をした男・エイジくんのセリフだ。

 ぼくらは、いくら愛する人とセックスしても、つながることなんてできない。体を重ねても、相手のなかに入り込むことなどできない。しかし、相手を喰らうことで、相手を血肉にすることで、初めてふたりはひとつになれる。それを現実世界に置き換えるならば、心を預けるということ。相手を信頼し、心を通わせ、溶け合うこと。それこそが本当の愛情であり、“ピュア”な行為、ただ体を重ねるセックスなどよりも尊いものなのだ。

 婚活市場での価値、子どもを持つことへの強迫観念、同調圧力によって生み出された歪んだ幸福のカタチ。現代を生きる女性は、ぼくら男性が想像する以上に生きづらさを抱えている。けれど、そんな状況だからこそ、ピュアな愛を信じたい。小野さんが綴った本作は、ひとりの女性による祈りと希望の物語である。これは女性のみならず、男性にも読んでもらいたい傑作だ。

文=五十嵐 大