ヤンキーや暴走族の“パシリ”として潜入取材! 暴力的な絆社会のウラにあるものは――

社会

2019/5/27

『ヤンキーと地元』(打越正行/筑摩書房)

 ある組織や集団のことを知りたいと思ったら、潜入するのがもっとも確実な手だろう。だから潜入捜査をテーマにした作品は、世界中に数多存在する。今年公開されたスパイク・リー監督による映画『ブラック・クランズマン』も、黒人とユダヤ人の刑事が二人三脚でKKKに潜入し、捜査するという話だった。

『ヤンキーと地元』(筑摩書房)は、沖縄で暴走族やヤンキーの調査をするために、社会学者の打越正行さんが暴走族の少年たちに仲間入りをしてからの10年以上の歳月で見聞きしてきた記録だ。

 打越さんは1998年、大学進学を機に沖縄での生活を始めた。夜遅く大学から原付バイクで帰宅しようとした時、バイクの脇で少年たちが酒盛りをしていたのが目に入った。1人は打越さんのバイクにまたがっている。勇気を出して声を掛けると「兄さんも一緒に飲まない?」と誘われた。教師になりたくて大学に進学した打越さんは、自分とは違う境遇で育った少年たちに触れて「無知を嫌というほど思い知らされた」と振り返る。そしてこの頃、沖縄について議論しようとする際に「ないちゃー(本土の人間)のボンボンに何がわかるのか」と自問自答することがあった。

“わからないなら、わかる人に話を聞かなければなにもはじまらない、と思うようになった。話を聞かせてもらうには、相手に失礼のないよう信頼関係を築かなくてはならない。そのための方法が、私にとっては参与観察だった。”

 打越さんは参与観察(対象集団に加わり、長期にわたり共に過ごしながら調査すること)をすべく、ヤンキーの若者への接触を試みる。

■暴走族のパシリとして潜入し、取材をスタートするが――

 また、2002年に広島で暴走族の少年たちの調査を始めた際には、繁華街で少年たちに「暴走族やそこで活動する皆さんに興味があるので、メンバーにしてください」と頼み込んだ。答えはNG。年が違い過ぎるから「だめに決まってるじゃろうが」と言われたものの、いつの間にか彼らのパシリになっていたそうだ。

 こき使われるのに、支払いの時だけは大人扱いされる。おにぎりを買って来いと言われて鮭と昆布を選んだら、定番はツナだったらしく「なんでツナでないのか」と皆の前でリーダーに叱責される…。「お前調子にのっとんか。リーダーにばっかり話を聞いて、俺らには聞かんのか」と責められて出禁になるなど、パシリならではの情けない経験を数多くした。だが、関係を深めることに成功し、当時の模様を『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)という本で発表した。

 そんな打越さんが再び沖縄に向かったのは、2007年。大学時代に出会った少年たちのことが忘れられず、彼らの現実や沖縄について考えなければ、先に進めない。そう思い、沖縄で調査を始めることにしたという。

“沖縄の暴走族やヤンキーを調査対象にしたのは、あの日に彼らが見せてくれた世界がとても「魅力的」だったからだ。”

 集まるヤンキーたちに果敢に声をかけ続けたが、内地から来た大学生が自分たちに興味を持つとはいかにも怪しく、私服警官と思われて調査は難航した。それでも少しずつ知り合いを増やしていった打越さんは、暴走族名が並ぶ「チームのステッカー」を1000円で売ってもらうことに成功し、原チャリに貼ったことで存在を認められていったという。

■ヤンキーの間にある暴力的なタテ社会

 打越さんは沖縄の若者の間に「しーじゃとうっとぅ(先輩と後輩)」という上下関係があることを知る。沖組(仮名)という建設会社で自らも働きながら取材していた打越さんは、中学を卒業して就職した子たちが下積みを経て自分も先輩になり、後輩に厳しくあたるのを目の当たりにした。その厳しさは「愛のムチ」などというものではなく、暴力を伴うものだった。現場での働き方にマニュアルはなく、先輩ごとに違うやり方を学び、先輩のパシリとしての地位を得る。その結果兄貴分に守ってもらえるようになり、他の先輩からの暴行は減る。金銭を賭けたボウリングやゲームは、後輩の勝ち逃げは決して許されない。そして先輩に面倒を見てもらうようになると、居場所はできるものの転職や他地域への移動は簡単にできなくなる。

 なぜこのような状況で沖縄の若者たちは働くのか。打越さんはこう語る。

“沖縄の中卒者、高校中退者には、厳しい現実が待ち受けている。それは本人だけの責任でもなければ、沖縄県だけの責任でもない。
これまで沖縄は、想像をはるかに超える負担を押し付けられてきた。その象徴が、沖縄の米軍基地だ。日本の米軍基地の約七割がこの地に集中している。そのことも、沖縄の暴走族やヤンキーが直面するシビアな現実と無関係ではない。”

 アメリカに占領されてきた時代から押し付けられてきたものが、今も沖縄の若者にのしかかっている。取材を始めた当時と今で環境は変わったものの、地元の先輩後輩という「絆」に縛り付けられて小さなパイを奪い合う構造は変わらないという。打越さんはそれを他人事とすることなく、「同じ場所にいた1人」の目線でつぶさに描き出している。

 同書には、セクキャバで働いていた真奈や、深夜の街道で暴走族見学をしていたエミやサキのエピソードは登場するものの、女性の登場人物は少ない。彼女たちのことは、共同研究者の上間陽子さんによる『裸足で逃げる』(太田出版)に詳しく書かれている。しーじゃに暴力で支配されてきたうっとぅもまた、裸足で逃げようとする少女たちを暴力で支配している。この2冊を通して読むと、弱い存在がより弱い存在を痛めつけている現実がよくわかる。そして、彼ら彼女らがなぜそのような状況に置かれているのか、沖縄から離れて暮らしている人間も決して無関係でないこともわかるだろう。ぜひ両冊に目を通すことをオススメしたい。

文=朴順梨