「夫はわたしのことを忘れてしまいました」蒼井優、竹内結子出演映画『長いお別れ』で描かれる認知症の父と家族の物語

文芸・カルチャー

2019/5/30

『長いお別れ』(中島京子/文藝春秋)

ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?

 認知症と診断された夫を自宅で支え続け、10年。曜子のたどりついたこの言葉を、何度も何度も、読み返した。

 その直前に書かれた「この人が何かを忘れてしまったからといって、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない」という一文も。ここだけ抜き出せば、きれいごとに聞こえるかもしれない。けれど、ゆるやかに記憶がこぼれ落ち、曜子の存在さえ忘れていった夫・昇平のいちばん近くで、頭をかきむしりたくなるくらいのストレスと哀しみを抱えながら、それでも寄り添い続けることを決めた彼女の言葉だったから、その重みと強さを反芻せざるを得なかった。

 5月31日(金)に実写映画の公開を控える『長いお別れ』(中島京子/文藝春秋)は、アルツハイマー型認知症を発症した東昇平をめぐる、家族の物語だ。

 昇平がケーキの銀紙を集め、一枚ずつ引き伸ばして、とっておく。子供のようなそのしぐさに、3人の娘たちが呆気にとられる冒頭で、一気に引き込まれた。父の内側でなにかが変容している、という驚きとショックが伝わってくるとともに、「このごろ、お父さん、こういう手仕事がすごく好きなの」という曜子の言葉に、夫の尊厳は何一つ損なわれていないことが示されていたからだ。そこには哀しみではなく、あたたかいユーモアが漂っていた。

 認知症であろうとなかろうと、老いによって家族がなにか“変”なことをやらかしたとき、それがよほど深刻なものでない限りは、笑ってしまうのではないかと思う。そしてその“変”が積み重なっていくと、まわりもしだいに慣れていく。行方不明になったり、同じ会話をくりかえしたりと、過度なストレスをかけられ、感情が爆発することはもちろんあるし、それは実際に対応したことのない人には想像もつかない苦労だ。大切な人が、その人の望んだ“自分”ではなくなっていくのを、そばで見守るのもとても切ないことだろう。それでも、曜子は夫として接することをやめなかった。決してあきらめず、献身的に夫を支え続けられたのは、彼女が“ふるきよき妻”だからではなく、夫をいつまでも、一人の対等な人間として見ることをやめなかったからだと思う。

 なかなかできることではないし、こういう書き方をすると、「きれいごと」のように聞こえてしまうかもしれない。けれど、娘たち、孫たちの視点もまじえながら連作形式で綴られていく本作には、自分のことで精いっぱいでなかなか介護に手を貸せず、昇平のことばかりにかまっていられない、それぞれの現実も描かれる。それでも、その人なりの愛情をもって、昇平とかかわり、年月をかけて「お別れ」していくその過程はやっぱりあたたかくて、深刻であればあるほど、どこかユーモラスだ。

 映画で昇平を演じるのは山崎(※)努さん。なんだかもう、映画の情景を思い浮かべるだけで、泣きそうだ。でも簡単に本作を「泣ける小説」なんて言いたくない。一文一文、かみしめながら何度も味わって、自分だけの大事な小説に育てていきたい。そう思った。

文=立花もも

(※)正しくは「たつさき」