皺くちゃになった1年前のレシートが捨てられない…。癌で夫を亡くした家族の記録。

暮らし

公開日:2019/6/23

『台風一過』(植本一子/河出書房新社)

 ラッパーのECD(石田義則)が2018年1月に亡くなった。『台風一過』(植本一子/河出書房新社)には、その後残された家族の生活の光景が、写真家である妻の視点で綴られている。

 著者の過去作(ECDとの共著1冊含め計5冊)では、育児の不安や、夫婦の仲違い、ECDの食道がん発覚後の生活が描かれてきた。本書はそうした今までの「家族の物語」を知らずとも、独立して読むことができるだろう。それは、日々の描写がまるで写真のように瞬間瞬間を切り取ったような感情から紡ぎ出されているからだ。

 著者が子どもの存在に助けられるようになったという「いつの間にか変わったこと」を語る時でも、「ある瞬間」をベースにそれを物語る。2人の娘と一緒に手を繋ぎながら、昔は精神的にいっぱいいっぱいな時は手を振りほどいてしまっていたが、今は子どものために何かをすることが以前より苦ではなくなったと「自分の変化」に気づくのだ。そして、フルーツパーラーに寄った帰り道、今度は「娘たちの変化」にも気づく。

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“手を繋ぐのと同じように「ママ、パフェたべさせてくれてありがとね」と事あるごとに下の娘がお礼を言ってくるようになった。その度に、ぜーんぜん! 大したことじゃないよ、と伝える。だってたいへんでしょう?と返されたこともある。”

 ECDが57歳で亡くなった時点で、著者との間には24歳の年の差があった。だが、今後その年齢差は(娘たちとECDの年齢差も)縮まっていくことになる。人がひとり死んでも、世の中は回転し、そして家族の人生は続いていく…。この当たり前ながらも物悲しい事実を、著者は瞬間瞬間の温もりをもって、息を吹きかけるように語っていく。

 本書を読み進めていくにつれて、筆者は2012年に流行語トップテンに入って以来季刊誌が発行されるほど一般化した「終活」ということばの意味について考えを巡らせた。「終活」は遺族に対する配慮というポジティブな面がある一方で、日本社会の「無縁化」をビジネスにしているということで否定的にとらえる意見もある。

 本書では題名通り、ECDという台風のような存在が過ぎ去った後の、1年間という「長いひととき」が描かれている。寂しさに反して空は澄み渡っていることもあれば、地面には台風が周囲を散らかした跡がまだ残っている。そうした「散らかり」は、整理されると失われてしまう可能性がある。

“一年前、石田さんは生きていたのだなぁと、不思議な気持ちになる。当たり前なのだが、今はもうどこにもいない。しわくちゃになった小さなレシートは、何となく捨てることができず、マグネットで冷蔵庫に貼った。”

 死者の存在は、誰かがその人を思い出す瞬間や、その人が残した物にも宿る。そのことを著者は心の眼で切り取っていく。本書は、散らかってまだデコボコな「まだ終わっていない」死者の存在を、残された者たちが譲り受け、粘土遊びのように好きな形・おもしろい形を手探りしている過程の記録だ。もしECDの「死」が整えられすぎたものだったら、残された者たちはまったく違うひとときを送っていたかもしれない。そんなことを、一家の記録から考える。

文=神保慶政