望んで結婚したのに苦しい。感情に従う? それとも世間体が大事? 女たちがもがく姿を捉えた『アタラクシア』

文芸・カルチャー

2019/8/14

『アタラクシア』(金原ひとみ/集英社)

 人に恋愛相談を持ち掛けると、「結局は、自分がどうしたいかじゃない?」と答えを返されることが多いけれど、実際にそれをやり遂げるのは誰でもむずかしいだろう。相手が本当に好きな人なら“都合のいい扱い”を受けてもいいと考える人もいるだろうし、たとえ結婚した相手であっても、別れたいと思ったらすぐに離婚するという選択肢もある。人間関係において、「自分の感情」を優先することはとても大事な要素である。けれども、それだけで全てを決めることはできないのが現実だ。私たちは結局、恋人がいるというステータスだとか、結婚している事実だとか、この先も育てなくちゃいけない子どものありがたい存在とか、さまざまなものに縛られている。

『アタラクシア』(金原ひとみ/集英社)に登場する英美も、見えない何かに縛られる女性のひとりだ。デキ婚した夫はいまだに浮気ぐせの直らない遊び人で、同居している母親は顔を合わせるたびに文句しか言わない。おまけに“かすがい”であるはずの子どもは日に日に言動が悪くなっていき悩みの種のひとつ…。当事者でなければ、「離婚しちゃえば?」と言いたくなる状況だ。それでも、母子家庭を選択することに対する不安が、彼女の激情を思いとどまらせる。いや、優等生だった英美にとって、それは“レールから外れる”ことへの恐怖なのかもしれない。いずれにせよ、彼女は、家族を殺したいと思うほど憎みながらも、なんとか形を保とうと必死に生きている。

 一方、翻訳者の由依は、英美とは正反対の人間だ。表面上何の問題も起きていない夫・桂との結婚生活に、ある日突然終止符を打とうと離婚を切り出す。夫に語った理由とは、「もう好きじゃないから」。由衣は、実は浮気をしている。しかも、それは一時の過ちなどではない。彼女は、浮気相手である瑛人と過ごす時間に、たしかな幸福を感じている。そして常識外れかもしれない彼女の行動は、「好きな人と一緒にいたい」というとても純粋な思いから生まれている。だからこそ、それを否定することはむずかしい。誰だって、ひとりのことをずっと好きでい続けられるわけじゃないのだ…。

 交際や結婚は、ある種の“契約”であるといってもいいだろう。初めは純粋な“好き”や、“一緒にいたい”から生まれた関係は、次第に感情が薄れてしまうと、今度はそれを維持することが正しいことのような錯覚を帯びたものになってくる。英美や由衣ほど極端ではなくとも、“自分がどうしたいか”という本質的な感情と、“世間的にはこうあるべき”という常識の間で、誰もが悩んでいるのではないだろうか。

『アタラクシア』の中に、こうすべき、という正解はないのかもしれない。けれども、歩き続けようとする彼女たちの人生の中に、それを見つめ直すきっかけがある。

文=中川凌