「宇多田ヒカル」「PHS」…ノストラダムスの大予言の“1999年”を舞台に、 『ベルリンは晴れているか』の著者が描いた青春ミステリーの傑作!

文芸・カルチャー

公開日:2019/12/5

『分かれ道ノストラダムス』(深緑野分/双葉社)

 深緑野分が2016年に発表した第2長編『分かれ道ノストラダムス』(深緑野分/双葉社)がついに文庫化された! 同作は『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』など海外を舞台にした歴史ミステリーで知られる著者が、初めて現代日本を舞台に描いた作品。知る人ぞ知る青春ミステリーの逸品として、小説好きに愛されてきた作品だ。

 あらすじを紹介しよう。高校1年生の日高あさぎは、2年前病気のために命を落とした男友達・基(もとき)の日記を遺族から託されたのをきっかけに、彼が死なずに済んだ可能性について考え始める。心臓が弱かった基は、中学2年のある夜、眠ったまま世を去った。その死は本当に避けられなかったのか。どこかで違う選択をしていれば、死なずに済んだのではないか……。

 あさぎはSFに詳しいクラスメイト・八女(やめ)に協力してもらいながら、基の生前の行動を辿ってゆく。もちろんそんなことをしても、基が生き返るわけではない。しかし彼に思いを寄せていたあさぎにとって、その死を詳しく検証することは大切な行為なのだ。

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 そんなあさぎの周辺で、奇妙な事件が相次いで起こる。夜道であさぎを尾行する人影。八女の友人である熱帯魚店の店主の失踪。そして巷を騒がせているカルト教団「アンチ・アンゴルモア」内での不可解な死の連鎖。過去を追いかけていたはずのあさぎは、いつしか現在進行形の事件に巻き込まれていく。

 今回本書を久しぶりに再読してみて、青春小説・ジュブナイル小説としての完成度の高さにあらためて驚かされた。あさぎは自分ではどうすることもできない喪失感や後悔に苛まれ、“ありえたかも知れない世界”を追い求める。

 翻訳者の金原瑞人氏は巻末解説において、この物語のテーマを「死なない死者とどう折り合いを付けるかだ」と述べ、「あさぎにとって、基は死んでいない。あさぎが想っている限り、基は死なないし、あさぎがそのことに拘泥している限り、その状況から逃げることもできない」と指摘している。そんなあさぎの姿には、まだ成長過程にある十代に特有の危うさと純粋さが刻印されている。

 しかし、あさぎはいつまでもそのアンバランスな世界に留まってはいない。複雑な事件に巻き込まれ、大人たちの狂気に対峙することで、深い悲しみから解放されてゆく。起伏に富んだストーリーや個性的なキャラクターに目が行きがちな作品だが、あさぎの内面的成長を繊細に描いている点にこそ、本書の大きな魅力があるように思う。金原氏が「このエンディングに文句のある人はまずいないと思う。青春小説は、すべからく、こうあってほしい」(解説)と激賞するラストシーンには、大人でも心を打たれずにはいられない。

 なお、タイトルにあるノストラダムスとは、「1999年7月、空から恐怖の大王が降ってくる」という予言で知られるフランス人。かつてこの予言が大ブームを巻き起こし、たびたびマスコミに話題を提供したことは、現在30代以上の方ならよくご存じだろう。

 本書の舞台となっているのは、まさに予言で人類滅亡の年とされた1999年。そのことが物語全体に一種奇妙で不穏なムードを与えていることにも注目したい。「宇多田ヒカル」「PHS」といった名詞にも時代の空気が漂っており、当時を知る人間には懐かしい。

 直木賞候補となった『ベルリンは晴れているか』でブレイクを果たし、知名度を獲得した深緑野分。『分かれ道ノストラダムス』はそのデビュー間もない時期に執筆された、切実で美しい青春ミステリーだ。今回の文庫化を機に、多くの読者の目に触れることを祈りたい。『ベルリン』にはまった人も、これから深緑野分を読んでみようという人にも断然オススメの作品である。

文=朝宮運河