こじらせリケジョの人生のものがたり。研究も彼氏も順調にみえるけど…?

文芸・カルチャー

2019/12/10

『ケミストリー』(ウェイク・ワン:著、小竹由美子:訳/新潮社)

 男性中心社会における女性の絶望を描いた『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)は、本国である韓国で映画化が決定するほどヒットしただけでなく、国境を越えて日本でも多くの共感を呼んだ。旧来当たり前に存在していた性差が、今日では「カジュアル・セクシズム(何気ないカジュアルな性差別)」といった視点で世界中で問い直されている。
 
『ケミストリー』(ウェイク・ワン:著、小竹由美子:訳/新潮社)は、アメリカ在住の華僑である女性が人生に行き詰まりを感じているという姿を、丁寧な目線で描いている。それはまるで、長らく閉まっていた心の蓋を開けて中を覗き込むような視点だ。本作の著者自身も華僑で、両親とともに11歳のときアメリカに移り住んだ。ハーバード大学で化学と英文学を専攻し、ボストン大学の美術学修士号を取得するために書いた小説が本作である。

■悩めるリケジョの思考回路を覗いてみると――

 名もなき主人公「わたし」は、大学院の博士課程で化学の研究を行っているが、モチベーションを失ってしまった。しかし、両親から過大な期待を受けているプレッシャーで、なかなか人生の方向転換に踏み切れない。世間的にみると理想的な白人の恋人・エリックからプロポーズされても、うれしいはずなのに素直に受け入れることができない。「わたし」はこんがらがった心の中の迷路を解こうと悩み抜く。脳内の“化学反応”を立ち止まって覗き込むような形で、あくまでも前向きにストーリーは進んでいく。

幸せ=現実-期待
もしも、現実>期待ならば、あなたは幸せです。
もしも、現実<期待ならば、あなたは幸せではありません。
したがって、期待が低ければ低いほど、あなたは幸せになるでしょう。
この等式を考えた心理学者たちは、そういう結論に達するやお終いにして、警告を発した:何人も期待の低い人生を送るべきではない。失望といった感情も経験にとっては重要なのである。

 描かれる「わたし」は、多様な悩みの複合体だ。社会的プレッシャーや女性の立ち位置に由来する悩み。その一方で、すっきりとした青空のように愉快な悩みも、ユーモアを交えて多く語られる。後者のような悩みは、現代社会ではなかなか希少だ。効率的でスマートになるはずだった社会は、種々様々な事情によって生み出されるドロドロした色の悩みにあふれているのだから。

「悩」という漢字の、部首(りっしんべん)は心を表している。旁(つくり)の「ツ」のような部分は髪の毛を、「凶」のような部分は乳児の頭蓋骨ややひよめき(乳児の頭蓋骨がまだ接合していない部分)を表しているという(「惱」という旧字体のほうがそう想像しやすいかもしれない)。作中でも、漢字は心の化学反応をひもとくエッセンスとして登場する。

四月、雪はようやく解けはじめる。
中国語で化学にあたる言葉は、hua xue。最初の漢字は、変える、変換する、融解するという意味だ。二番目の漢字は学ぶという意味。べつの声調で言うと、xueは雪という意味にもなるし、huaは談話という意味にもなり、化学は融雪になり、談話学になる。

「わたし」はときに乳児のようにまっさらな気持ちで悩みたいと心の底で願っている。羊水の中を泳ぐような感覚で悩みに浸りたい「わたし」は、理想とはかけ離れた沼を仕方なく漂いながら、その淀みに慣れきって気にもしなくなった人々と関わり続ける。

「わたし」の深い悲嘆の中で、どろんこ遊びをする子どものように無邪気な悩みの“色”がひときわ輝く。たとえば電車内で乳幼児が泣くと、ときに「うるさい」といわれてしまうような日本社会でも、その色は輝くだろうか? そして、「わたし」のように無邪気さを持ちながら悩み続けることに価値が認められるだろうか? そう考えるとき、この本は海外文学、翻訳ものという壁を軽々と越える。普遍性を持ち合わせた1冊だ。

文=神保慶政