村上春樹にミヒャエル・エンデ…物語とチョコレートの“いい関係”にひたれるおすすめ本

文芸・カルチャー

更新日:2020/2/13

 古今東西、物語に描かれたチョコレートを見てみると、人とチョコのただならぬ関係が見えてくる? 『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』『芥川賞ぜんぶ読む』などの著作が話題の小説読み・菊池良さんに、チョコレートが登場する小説を教えてもらいました。

『ねむり』村上春樹

『ねむり』(村上春樹/新潮社)

 突然眠れなくなった「私」はその時間を埋めるように読書へ没頭する。彼女の身体に起きている変化とは? 元は『TVピープル』に収録された短編がバージョンアップ。カット・メンシックによる美しいイラストも見どころ。

ブランディーとチョコレートで読書を

 村上春樹の『ねむり』は「眠れなくなって十七日めになる」という印象的な書き出しではじまる。

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 歯科医の男と結婚して子どももいる「私」はある日突然、眠れなくなった。病院には行っていないが、それは不眠症ではないと「私」は感じている。それは「眠りにくい」のではない。彼女はほんとうに一睡もできなくなってしまうのだ。彼女の重大な変化に、家族は誰も気づいていない。

「私」は夜になるとベッドを抜け出して、ソファーに座り一人で『アンナ・カレーニナ』を読む。トルストイが書いた長編小説だ。かたわらにあるのはブランディーを注いだグラス。そして、チョコレート。彼女はチョコレートを食べながら、ひたすら長い小説を読む。急にできた長い時間で、彼女はひどく濃密な読書体験をする。

 眠れないあいだ、彼女の身体にも変化が起きる。彼女は鏡の前でそれに気がついた。どんどんきれいになっているのだ。いったい彼女の身体になにが起きているのだろうか?

 チョコレートを食べながら長い小説に没頭するとは、なんて魅惑的な時間だろう。もし急に長い時間ができたとしたら、あなたならどんな長い小説を読むだろうか? チョコレートもブランディーも、その時間に寄り添ってくれる。

『チョコレート工場の秘密』
ロアルド・ダール:著 柳瀬尚紀:訳

評論社 1200円(税別)

『チョコレート工場の秘密』(ロアルド・ダール:著、柳瀬尚紀:訳/評論社)

 秘密のチョコレート工場に5人の子どもが招待された。彼らが目にしたのは不思議な設備や発明品の数々。そして、だんだん子どもがいなくなっていく!? チョコレートをめぐるユーモアたっぷりの楽しい物語。

少年と甘くて不思議な工場

 幼いチャーリーが住む街には巨大なチョコレート工場がある。そこは世界一広くて、世界一有名な工場だ。そんな工場の「秘密」ってなに? 実はその工場の門はいつも閉まっていて、従業員は一人も入っていかないし、出てもこない。それなのに10年以上、工場はチョコレートを作りつづけている。いったいどうやって?

 そんなある日、新聞に「5人の子どもを工場に招待する」という記事が出る。板チョコを買って「黄金切符」が出たら、秘密の工場を見学できるのだ。すぐさま世界中の人が黄金切符を求めて、チョコを買い漁りだした。

 チャーリーは家が貧しいから、チョコレートを年に一回の誕生日にしか食べられない。だからチョコレートを食べることは、チャーリーにとってすごく幸せな時間。誕生日のチョコレートを毎日少しずつ食べる。ほんとうに少しずつ。

 それがひょんなことから、チャーリーが黄金切符を手に入れてしまう。そして、工場の地下で、その秘密を目の当たりにする。そこにはチョコレートの川と、数々の不思議な発明品があった。

 本書は奇想天外な発想が次々と飛び出す児童文学の古典。チョコレートのなかに空想と言葉遊びが詰まったこの本は……甘くてとろける奇妙な味がする。

『スロウハイツの神様』(上・下)辻村深月

講談社文庫 (上)660 (下)730円(税別)

『スロウハイツの神様(上)』(辻村深月/講談社)

 スロウハイツの住人はみんな創作に打ち込んでいる人々。一つ屋根の下で競争心や恋愛感情が交差していく。新たな住人の入居をきっかけに、明らかになっていく彼らの過去。物語を作る人々の青春ストーリー。

特別な日のチョコレートケーキ

「スロウハイツ」は西武池袋線沿線にある三階建ての小さなアパートだ。オーナーは若くして売れっ子脚本家になった赤羽環で、住人には小説家のチヨダ・コーキ(千代田公輝)や編集者の黒木智志、それに漫画家の卵や画家の卵が住んでいた。このアパートは環が脚本を書いた映画『赤い海の姫君』を見た老人が、彼女にプレゼントしたという。元々は旅館だったそうだ。友人からは「トキワ荘みたい」と言われている。住んでいるのがみんなクリエイターか、その卵だからである。

 住人はとても仲がよく、共同生活を楽しんでいる。「スロウハイツ」の「スロウ」は「スロウライフ」の「スロウ」。そんなアパートで住人たちはクリエイターとして秀でようと切磋琢磨する。ときにはプライドのぶつかり合いも起こしながら。

 彼らは特別な日になると、新宿にある高級なケーキハウス「ハイツ・オブ・オズ」のチョコレートケーキを食べる(「特別な日」というのは、たとえば赤羽が彼氏と別れたとか)。それは公輝が大好きなケーキだ。そして、環にとっても特別なケーキ。彼らはスロウハイツの共用リビングでケーキを食べながら、お互いの気持ちを共有するのである。静かな愛に炎をともして。

『モモ』
ミヒャエル・エンデ:著 大島かおり:訳

『モモ』(ミヒャエル・エンデ:著、大島かおり:訳/岩波書店)

 謎の少女モモと、時間どろぼうが攻防を繰り広げる。時間どろぼうが説明する「むだな時間」は読んだ人は誰もがどきりとするだろう。忙しく生きる現代人に「時間とは何か」を問いかけるメルヘン・ロマン。

朝食にチョコレートポット

『モモ』のページをめくると、そこには「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」と書かれている。モモは都会のはずれにある廃墟の劇場に住み着いた小さな女の子だ。彼女には人の話を聞くというすばらしい才能があり、近所の人たちは何かあるとモモへ相談に行くようになる。モモと住人たちはそうやって友情を温めていく。

 しかし、街の様子はだんだんおかしくなっていく。それは「時間どろぼう」のしわざだ。彼らは住人たちに、むだな時間を削って節約すればいい生活ができるとけしかける(けれども、時間どろぼうと会った記憶は消してしまう)。その結果、人々はせわしなく働くようになって、経済的には裕福にもなるのだけど、いつも疲れ切って余裕がなくなってしまうのだ。やがて、モモの友人たちも忙しくなり、彼女のそばからいなくなってしまう。

 モモは時間どろぼうに対抗することを決意する。彼女を手助けするマイスター・ホラがモモに用意した朝食。パリパリに焼けたパン、バター、はちみつ、そして湯気のたったチョコレートのポット。ゆっくりと朝食を食べるのは、むだな時間なのだろうか? いや、それは幸福な時間なのである。

【選者プロフィール】
きくち・りょう●1987年生まれ。フリーライター、編集者。学生時代に公開したWebサイト「世界一即戦力な男」がヒットし、書籍化、Webドラマ化される。著書に累計17万部のヒットとなった『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』シリーズ(神田桂一との共著)、『芥川賞ぜんぶ読む』がある。
ツイッター https://twitter.com/kossetsu