死体の声を聞く監察医の世界とは? ミステリー作家御用達のネタ本に30年ぶりの続篇!

暮らし

2020/3/10

『死体は語る2 上野博士の法医学ノート』(上野正彦/文藝春秋)

『死体は語る』という本をご存じだろうか。

 1989年に上梓されたこの本は、東京都監察医務院の監察医として30年勤務し、2万以上の変死体を解剖した法医学者・上野正彦が著した法医学入門書なのだが、内容のあまりのセンセーショナルさに社会の関心が集まり、ベストセラーとなった。そして、ミステリー作家御用達のネタ本にもなったのである。

 当時、監察医はマイナーな存在で、推理小説や刑事ドラマでは死因を特定するために出てくるチョイ役扱いだった。それが今では「監察医もの」がジャンルとして成立するほど多くの作品が出ているのだから隔世の感があるが、きっかけの一つが『死体は語る』であったことは間違いない。

 そんなレジェンド本に、なんと30年ぶりの続篇が出た。

『死体は語る2 上野博士の法医学ノート』(文藝春秋)である。

 平成元年に60歳で監察医を退職した後は評論家や作家として活動してきた氏だが、本作は警察官向け専門誌『月刊BAN』で連載したコラム「法医学はおもしろい」を加筆修正してまとめたもので、前作よりも多少専門的かつ実践的な内容になっている。解剖図や写真もふんだんに使われているのは、「死体と語るための知識や道具を紹介する」のが目的だからだろう。だが、読み物としての面白さは少しも損なわれていない。むしろ、専門的であるがゆえに自分も監察医になったような気分を味わえる。

 現実に起きたケースを扱っている以上、小説のような派手さはない。また、語られる事件の概要は監察医が知ることができる範囲に限られる。

 しかし、だからこそ“死体の声”がよく聞こえてくるのだ。

 死者の人権を守る。それが法医学の役割だと著者は何度も繰り返す。

 アパートで一人暮らしをしていたOLが死体で発見され、窒息死と診断された事件。遺体には特に目立つ外傷や争った痕跡はなく、どのように窒息したかはわからなかった。病死、事故死、自殺、他殺。著者は解剖所見と発見当時の状況から複数の可能性を一つ一つ潰していき、最終的に他殺と判断する。警察がそれに従い捜査したところ、3ヶ月後に彼女の上司が犯人として逮捕された。身勝手な邪恋の末の、計画的な犯行だったという。もし、著者が小さな痕跡を見逃していたら犯罪は発覚せず、殺人者は何喰わぬ顔をして社会生活を送っていたことだろう。

 ノンフィクションゆえに、自殺に偽装した殺人と思われた事件が実は行きあたりばったりのひき逃げ事件だった、というような拍子抜けの事例も紹介されているが、いずれにせよ警察の捜査だけでは真相が明らかにならなかった事件が並ぶのを見ると、監察医という仕事の重要性がひしひしと感じられる。

 ところが、残念なことに、日本の監察医制度は縮小傾向にあるという。制度を維持するために不可欠な予算が削られる一方である上、法医学を志す若者がほとんどいないからだという。

 だが、もし監察医がいなければ、ボーダーラインの事件が数多く闇に葬りさられ、著しい不正義がまかり通る世の中になってしまうかもしれない。

 私たちの住む社会がそんな風になっていいのか。本書は、御年90を超える著者が懸命に鳴らす警鐘でもあるのだ。

文=門賀美央子