障がい者の多くがお金を支払って働いているという現実…障がい者雇用を変えるソーシャルファームの可能性

社会

更新日:2020/4/20

『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。』(姫路まさのり/新潮社)

 働くとは、つまりどういうことだろうか。生きるため? お金を得るため? 自分の夢を叶えるため?

 それらも正解だろうが、『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。』(姫路まさのり/新潮社)を読むと、別の答えが出てくる。本書は、私たちの知らない「障がい者の働く世界」と、その可能性をつまびらかにする。

お金を支払ってでも働く障がい者雇用の現実

 大半の人々が低賃金に不満を抱きながら働く現代において、障がい者の働く環境はさらに厳しい。

advertisement

 障がい者が職を得る方法は大きく分けて2つある。まずは一般企業に勤めること。企業には障がい者雇用が法律で義務付けられており、詳しい制度や数字は割愛するが、4割以上の企業が法律に準じて彼らを雇用している。

 しかし企業に雇用される障がい者はほんのわずかだ。残る大多数の行き着く先が、小規模作業所や就労継続支援施設など、いわゆる作業所と呼ばれるところ。障がい者たちはそこへ毎日通って収入を得るのだが、受け取れる賃金は月1~2万円程度。

 それどころか障がい者の家族は、作業所側に食事代や送迎代などを支払い、多くの場合が受け取る賃金よりも上回る。「お金を支払って働かせてもらっている現状」が障がい者の世界なのだ。

子どもが学校を卒業すると「真っ暗なトンネルへ突入する」心持ちになる

 なぜお金を支払ってまで家族は働かせようとするのか。たとえば健常者の子どもが高校を卒業すると、親はホッとする。我が子の成長を喜ぶわけだ。しかし障がい者の親たちは違う。またひとつ、彼らの家以外の居場所が減ったことを意味する。

 卒業したことで、これから先は親だけで我が子を支えなければいけない。子どもが家にいることで満足に働くこともできない。「まるで真っ暗なトンネルへ突入するような心持ちになる」という。だから障がい者の親は、お金を支払ってでも子どもが作業所へ通ってくれたほうが安心できる。

 この現実に憤りを覚える人もいるだろう。しかしこれでも障がい者を取り巻く環境が大きく改善したのだから驚きだ。一昔前の日本において障がい者に対する偏見は強く、信じられないような言葉や態度が、本人や家族たちに向けられてきた。

 1964年の東京パラリンピックを契機に、無権利状態に置かれていた彼らを「働くステージ」に登場させた「障がい者運動」は、ひとつの偉業といえる。

 けれども障がい者運動から数十年過ぎた今も「労働の喜びを感じさせてもらえるだけでありがたい」という状況は明らかにおかしい。

障がい者は稼げる労働者になれる

 そこで著者の姫路まさのりさんが注目したのは、ソーシャルファームだ。これは障がい者雇用の場に、「どうしたら利益を上げられるか」というビジネスの視点を取り入れ、一般企業と競合できる事業を展開する取り組みを指す。簡単にいえば、「障がい者も稼ごう」というのだ。

 本書では、ビジネスとして成功するソーシャルファームをいくつか取り上げる。たとえば京都府舞鶴市にあるフランス料理店「ほのぼの屋」。ここでは一流のシェフが本格フレンチをお客に振る舞う。その味に魅了されてリピーターになる人は数知れず、地元の人々はこのお店を「フレンチの有名なレストラン」と認識している。決して「障がい者たちが働く福祉施設」ではなく、「繁盛する飲食店」とみなしているのだ。ソーシャルファームとしてこれ以上の成功はない。

 本書で印象に残るのは、お店で働く障がい者たちの姿。ほのぼの屋では、精神障がい者や知的障がい者など、幅広いスタッフが高級店としての雰囲気づくりに勤しむ。

 そこに「障がい者」という遠慮は一切ない。誰もが仕事や持ち場にプライドを持ち、自分に甘えることなく、妥協を許さず、顧客満足を限界まで追求するため、必死に働く。

 姫路さんの取材によると、ほのぼの屋を構想しているときも、オープンして以降も、それは大変だったそうだ。お店をオープンさせたいだけなのに地元住民から猛反対され、オープンしたところで飲食店のノウハウがあるわけじゃないので、健常者スタッフも、障がい者スタッフも、てんやわんや。詳しい記述はないが、わざわざ一流シェフを迎えているわけだから、シェフと障がい者スタッフの間にも色々あったようだ。

 でもそれが功を奏した。障がい者スタッフに最低限の配慮しかできない余裕のない日々。残された彼らは次々に訪れるお客に満足してもらうため、必死に仕事を頑張った。きっと作業所の業務とまったく別世界だったのだろう。ほのぼの屋のスタッフはこのように振り返る。

「よくよく振り返ってみると、今まで彼らに提供していた仕事は、彼らにとっては、させられている仕事、あてがわれている仕事だったのかも知れません。それが、ほのぼの屋で働き出して、誇りが持てる主体的な労働へと変化したのだと思います」

「ミスをしない」「怒られないようにする」「そつなく仕事をする」。彼らにとって、作業所でのモチベーションはこのような感じだったはずだ。しかしほのぼの屋では「お客様に喜んでもらいたい」と、自分の仕事に意味を持つようになった。あるスタッフは本書でこう述べている。

「今まで色んな仕事をしてきたけど、生まれて初めて自分の仕事に誇りが持てている」

 本書を読み通して見えた答えがある。働くとは、誰かに必要とされることではないだろうか。誰にでも働く権利はある。わたしも、あなたも、健常者も、そうでない人も。体の機能に差はあれど、心はみんな同じだ。誰かに認められる居場所がほしい。誇りに思う自分でいたい。

 本書で描かれる世界に、世間一般が思い浮かべる「支えられる障がい者」はいない。誰もが苦労しながら仕事を覚え、そのうちやりがいと自信を抱き、プロ意識を持って働いている。なかには結婚して家庭を築けるだけの収入を得ている障がい者もチラホラといる。作業所では絶対に叶えられない生活だ。

 本書は、「障がい者が稼いで自立する成功例」を紹介しているようで、本質は「成功するためのマインド」を伝えようとしている。彼らだって立派な稼げる労働者になれる。自立して生きていける。きれいごとでもなく、夢物語でもなく、人々の強い思いが突き動かした現実なのである。

文=いのうえゆきひろ