想像以上の苦難続き…。ふたりの“母親”がひとつの“かぞく”となったとき、直面した現実とは?

暮らし

公開日:2020/4/22

『母ふたりで“かぞく”はじめました。』(小野春/講談社)

 ここ数年、“かぞく”とはなんだろう、と考えるようになった。田舎で生まれ育ったぼくは、恥ずかしながらもそれまで、「結婚し、子どもをつくり、ごく一般的な家庭を築く」ことこそが、かぞくの正しいあり方だと思っていたのだ。けれど、決してそれだけが正しいわけではない、と知った。

 これまでライターとして、さまざまな人たちに出会ってきた。同性のパートナーと暮らす人、赤の他人と“拡張家族”として共同生活を営む人、複数の人と愛を育むポリアモリーと呼ばれる人……。そこにあったのは、これまで“一般的”とされてきた形とは違うものの、紛れもない“かぞく”だった。そして、新しいかぞく像と出会うたび、自分のなかにあった価値観が揺らいでいく。“かぞく”とは、一体なんなのだろう。

『母ふたりで“かぞく”はじめました。』(小野春/講談社)を読んで、あらためてその問いと深く向き合うことになった。

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 本書は同性パートナーとステップファミリーを築き、実子と継子の3人を育て上げた小野春さんによる、エッセイだ。そこに綴られていたのは、とてもリアルな苦悩と喜びの日々である。

 小野さんは現在、“麻ちゃん”という同性パートナーと生活をともにしている。ふたりは女性であり、ともに一度結婚した経験があった。しかも、それぞれに子どもがいる。母親ふたりがパートナーとなり、互いの子どもも育てながら“かぞく”となっていく。その過程には想像以上の苦難が続く。

 継子に親として認めてもらえない、自分の両親がパートナーのことを認めてくれない、結婚式を挙げられない。それでも小野さんは諦めることなく、“かぞく”を手にするために奮闘する。やがて踏み切ったのは、「結婚の自由をすべての人に」訴訟。小野さんは原告のひとりとして、東京地方裁判所で意見陳述を行なった。しかし、裁判ではどの質問にも「想定外」と返されてしまう。

 想定外。“かぞく”になろうとする人たちの想いを切り捨てるには、あまりにも軽々しい言葉ではないだろうか。けれど、人類の歴史なんて、想定外の連続だ。都度、それに対応することで、ぼくらはより豊かで多様な生き方を手にできるのではないのか。そう考えると、裁判所の返答には憤りすら覚える。

 ただし、本書には希望も綴られている。同性婚への反対意見を耳にした小野さんの子どもたちが言ったひとことだ。

“そういうことを言う人がいなくなれば、私たちは普通に暮らせるのに!”

 なによりもシンプルで力強いメッセージだ。次世代を担う子どもたちが、このように価値観をアップデートしていってくれたら、きっとその先にある世界は明るいのだろうな、と思う。そして、彼らが生きる未来は、いまとは比べものにならない多様な“かぞく”であふれているだろう。

文=五十嵐 大