燃え殻の忘れられない記憶の断片――ごくありふれた人生に多数のロマンや物語が宿る

文芸・カルチャー

更新日:2023/9/5

すべて忘れてしまうから
すべて忘れてしまうから』(燃え殻/扶桑社)

 WEBで連載されたエッセイを一冊にまとめた、燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)は、鮮烈なデビュー作だった。普段はテレビ制作会社で働く彼の情緒的な文章は、糸井重里、大根仁、小沢一敬、堀江貴文、会田誠、樋口毅宏、二村ヒトシから絶賛され、ヴィレッジ・ヴァンガードは全店で品切れ状態が続いた。

 そんな燃え殻の新作は『すべて忘れてしまうから』(扶桑社)。反語的なタイトルだと思った。著者は幼少期から最近までの記憶を振り返り、印象的な出来事を思いつくままに書き連ねていく。「すべてを忘れてしまう」人の綴る文章とは思えない。

 子供の頃いじめられていて、ある日登校したら、机の上に花瓶が置いてあった話。深夜ラジオの女性パーソナリティーの艶っぽい声に魅せられ、ラジオ局の前で出待ちをした話。

advertisement

 他にも、クリスマスにテレクラに行った話、プロレスラーを目指していた友達の話、仕事をサボって見知らぬ街を訪れた話、極度の頻尿で難儀する話等々。ページをめくるごとに、呑み屋で旧友のとりとめのない話を聞いているように思えてくる。

 いずれもありふれたと言えばありふれた話であり、著者も実体験を淡々と語っているように思える。虚飾も誇張もなく、ただそこに佇む記憶の断片たち。どのエピソードも固有の顔を持ち、画一的な分析や解釈や理解をすり抜けてゆく。

 エピソードのひとつひとつは大仰なものではないが、有名人の仕掛けた壮大で派手な物語より、ずっと卑近である。そして、そのぶん読者が感情移入できる余白や余地が残されている。

 本書を読んで筆者が真っ先に連想したのは、社会学者・岸政彦の『断片的なものの社会学』(朝日出版社)という本。マイノリティーへの聞き取り調査を多数行ってきた岸は、同書の序盤で「どんな人でも色々な『語り』をその内側に持っていて、その平凡さや普通さ、その『何事もなさ』に触れるだけで、胸をかきむしられるようになる」と述べる。

 この言葉の通り、読者は燃え殻の人生の欠片を拾い集めながら、その「何事もなさ」を追体験する。全体化も一般化もできない、一見些末な悲喜こもごもに触れては、「胸をかきむしられる」のだ。

 また著者は、写真家の荒木経惟の写真について「アラーキーがなぜあの構図で、あの瞬間を切り取りたかったのかは、分からない。ただ、彼が遺さなかったら、なかったことになっていた風景や営みがある」と述べる。

 著者が語る事実もまた、多くの人が気にするような風景や営みではない。フィルムに焼き付けられなければ記録にも記憶にも残らなかったものである。つまり本書は荒木の写真集と同じことを活字で残すことに成功しているのだ。

 例えば、同じエレベーターに偶然乗り合わせた見知らぬ他人と自分の人生は、今後交わることもなく、記憶から消えてゆく。思いだすことなど決してないだろう。しかし本書の読者は、燃え殻の記憶を辿り直すことで、一瞬でも彼の人生と交差/交錯したような錯覚を覚える。本書を読み終えた筆者は、会うこともない燃え殻のことをより身近に感じるようになったのだった。

文=土佐有明