大学受験に2度失敗、双子の弟を失った“普通の青年”が、みずからの人生を見出してゆく青春小説

文芸・カルチャー

公開日:2020/9/29

ヘディングはおもに頭で
『ヘディングはおもに頭で』(西崎憲/KADOKAWA)

 なにをすればいいのかはわからないが、自分本来の力が発揮できたなら、今よりもいい生活ができると思う。そうなるような行動さえ起こそうとしない一方で、誰かのあげた功績に、ちょっと妬ましい気分になる。素敵な人との出会いに胸をときめかせ、夢見がちな人を胸中で笑い、どこか特別な存在でありたいと願いながらも、人とは違う人生に踏み出す決意はできずにいる。たいていの人間には、多かれ少なかれ、そういったところがあるのではないか。

 だがこんな“普通の人”は、物語の主人公たりえない。そういう諦めとも悲しみともつかないものが、自分の人生にはつきまとっている──そんな実感があったからこそ、『ヘディングはおもに頭で』(西崎憲/KADOKAWA)の読了後は、胸に迫るものがあった。これは、松永おんという“普通の青年”の物語であるとともに、物語の主人公にはなれないはずの普通の人、つまり“わたし”の物語でもあったからだ。

 松永おんは、大学受験に2度失敗し、アルバイトをしながらひとり暮らしをしている浪人生。半年前から働きはじめた弁当屋のアルバイトは最低で、やりがいも楽しみもない。おまけに、受験のことで家族や友人に気をつかわせている自分は、ちゃんとした人間ではないような気がする。そうでなくても、おんは幼いころに双子の弟を亡くしており、自分は半分だけの存在だと考えているのだ。

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 おんがフットサルに出会ったのは、そんなある日のことだった。高校時代の友人に誘われたことがきっかけだ。けれどおんは、体育に苦手意識があるほうだったし、コートも自宅から遠かった。「いくなんて言わなきゃよかった」と後悔しつつたどり着いたコートで、しかし彼は、フットサルに心を奪われた。

 コートでは誰もが確信を持って走り、蹴り、そこに自分がいる理由を持っていた。その光景を見たおんは、誰かにスイッチを押されたように、フットサルを習いはじめる。そして彼は、フットサルを足がかりに、だんだんと世界を広げていった。スクールや大会のために、いつもとは違う街へ。フットサルのように自分にいい影響があるのではないかと、また別の趣味の場へ。そうして違う世界に触れるたび、おんはもとの暮らしの中にも、少しずつ変化を見出してゆく──。

 人生とは、団体競技のようなものなのかもしれないと思う。スター選手ももちろんいるが、社会というコートにいる者には、目立たずともそれぞれの役割が与えられている。はじめは右往左往していても、目を凝らしつづけていれば、人の動きが見えてくる。一度コートを出てみたならば、客観的に自分の位置を確認できる。そうやって、さまざまな角度から自分の位置と役割を知ったとき、全体の試合と同時に、動けなかった昨日の自分を超えるための闘いが、自分の内に展開する。試合は決して、全体のためだけにある、一元的なものではない。

 フットサルや大学受験、友人や家族とのかかわりを通して、ひとりの青年が自分を見つめてゆくこの青春小説は、読者にとっての新しい“世界”のひとつとなるだろう。おんにとってのフットサルと同じように、この小説は、あなたの今いる世界を輝かせてくれる、きっかけとなるに違いない。

文=三田ゆき