このゴミは収集できません! ゴミ清掃員が出合った「理解不能な怪奇ゴミ」は?

暮らし

公開日:2020/10/3

『やっぱり、このゴミは収集できません ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと』(滝沢秀一/白夜書房)

 お笑いコンビ「マシンガンズ」の滝沢秀一さんは、ゴミ収集会社に就職し、ゴミ清掃員としての顔ももつお笑い芸人。ゴミ収集中のユニークな体験談が記された彼のTwitterは人気を集め、『このゴミは収集できません ゴミ清掃員が見たあり得ない光景』(白夜書房)や『ゴミ清掃員の日常』(講談社)には大きな反響が寄せられた。
 
 そして、新作『やっぱり、このゴミは収集できません ゴミ清掃員がやばい現場で考えたこと』(白夜書房)も、私たちがまだ知らない世界を教えてくれる1冊。本書には、ゴミに関するクスっと笑える体験談やゴミ収集への熱い想いをはじめ、緊急事態宣言が出されたコロナ禍におけるゴミ事情についても綴られている。

ゴミを通して見える「他人の人生」

 いつ、どこに、どんなものが潜んでいるか分からないゴミを収集する清掃作業は、恐怖との戦いでもある。本書には、ガムテープでぐるぐる巻きの牛乳パックに詰められていた尿や、意図的にゴミ袋に入れられたであろう生きたネズミなど、ギョっとするエピソードも。ちょっぴりホラーな住人のエピソードにも驚かされる。

 また、金持ちと一般庶民のゴミの違いを比較。高級住宅地を「松竹梅」に分け、エリア別のゴミの特徴を明かしている。例えば、「梅」エリアでは食品ロスが目立ち、剪定された葉や雑草がよく捨てられているのに対し、「松」エリアはゴミの量が最も少なく、ゴミを圧縮できるゴミ箱「クラッシュボックス」専用のゴミ袋や、大型スーパーで売られている割高のゴミ袋を使ってゴミが出されていることが多いのだそう。

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 滝沢さんは、こうしたゴミに関わる違いを通し、住民の人間性や暮らしぶりなどを想像する。それぞれの土地で暮らす人たちの生き方にも思いを馳せる。その推測には、なるほど…と思わされる部分が多々あり、自分のゴミの出し方や生き方を変えたくなる気持ちも起こる。ゴミは、私たちが考えているよりもずっと、人となりを色濃く映し出すものなのだろう。

緊急事態宣言下での「ゴミ事情」とは?

 新型コロナによって世界中が大混乱に陥った今年は、医療従事者だけでなく、ゴミ清掃員の苦労にも目が向けられた。滝沢さん自身も、マスクが必須なのに手に入らず、ひょっとしたらウイルスが付着しているかもしれないゴミの中に手を突っ込んで違反ゴミを取り除かなければならない恐怖を味わったり、マスクを一日中つけていたであろう人が家にウイルスを持ち込みたくないと集積所にポイっと捨てるマスクを収集しなければならなかった時には、屈辱に似た気持ちを抱いたという。

 だが、危険と隣り合わせの中、この仕事に就いてよかったと思えることもあったという。ニュースでゴミ清掃員の苦労について取り上げられたからか、「ありがとう」と書かれた手紙や、感謝の言葉が書かれたゴミ袋も目にした。ゴミ清掃員という職業には、まだまだ偏見の目が向けられることもあるというが、新型コロナはその偏った考えを変えるきっかけを私たちにもたらしたのかもしれない。

 この社会には職業の序列意識が根強くあり、ゴミ清掃員は税金から給料が支払われているのだろうと考えている人もいるからか、理不尽なクレームを受けることも多いという(滝沢さんも「ゴミ清掃車はこの道を通るな」と言われたことがあったそうだ)。

 こうした職業の序列意識は、他の仕事に関しても残っているのだろうが、どんな人も当たり前に仕事の報酬を受け取り自らの生活を営むことが普通の世の中になってほしい。もしネガティブな気持ちのまま働いている人がいたら、その当人の中からも、心苦しさが消えたらいいなと思う。みな、やるべきことをやって、ちゃんと生きているのだから。

 お笑い芸人は副業でゴミ清掃員が本業――そう語る滝沢さんは、最終章でこんな言葉を綴る。

“汚いからゴミ、綺麗だからゴミじゃないということではなく、ゴミは、人がゴミだと思った瞬間に、ゴミとなることを知った。”

 前日に、買ったのに腐らせてしまった野菜を捨てたばかりの筆者は、この言葉にドキっとした。そうだ、あのキャベツにもゴミにならない道があったんだよな…。

“僕がゴミ清掃員として見てきたものは、人間そのものと僕自身だったのかもしれない。僕らはもう少しだけ、あらゆる物に歩み寄ることができるのかもしれない。”

 滝沢さんのこの言葉は、モノが溢れて心の豊かさを失った私たちへの警告でもあると受け取りたい。

文=古川諭香