友人の妊娠報告が喜べない!? 『子どもが欲しいかわかりません』で考える、女性のジレンマ

マンガ

公開日:2024/4/26

子どもが欲しいかわかりません
子どもが欲しいかわかりません』(大町テラス/KADOKAWA)

 男の人も子どもが産めたらいいのに、と何度となく思った。家族のために稼がなくちゃいけない重圧も相当なものだけど、産むとなればどうしたって一年近くは仕事を休まなくちゃいけない。だから、大町テラス著『子どもが欲しいかわかりません』(KADOKAWA)の主人公・カナコの〈今フリーだから仕事できない期間は直に収入にひびくし〉〈1年も休んだら今もらえてる仕事なくなるんじゃ?〉という葛藤には大いに共感した。

子どもが欲しいかわかりません

 会社員だとしても、産休・育休を経て復帰したときには、自分のやるはずだった大きな仕事が休み中に後輩にわりふられていたとか、子どもに持病があってしょっちゅう休まねばならないためにキャリアアップを断念せざるを得なかったとか、いろんな話を聞く。

 仕事の頑張り時と出産適齢期が重なる以上、どうしたって逃れられないそのジレンマを、働きたい女性たちはどうしたって抱えることになる。その心情を、『子どもが欲しいかわかりません』は丁寧に掬いあげている。それはフィクションとリアルの狭間を描く「立ち行かないわたしたち」シリーズならではの読み心地でもある。

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子どもが欲しいかわかりません

 どうしようもないことなのは、みんな、百も承知なのである。キャリアに限らず、自由な生活を望むのならば、子どもを持たない選択をするしかないこと。それでも欲しいと思うのならば、配偶者の協力を得て、自分もできる限りの努力をして、両立させるしかないのだということ。それでも「できちゃった」のではない限り、私たちは選択して子どもをつくるための行動に出なくてはならない。その選択を、主体的にすることに躊躇してしまう。だから、カナコが夫に対して「一緒に悩んでほしい」と葛藤する場面にも、激しく共感した。

子どもが欲しいかわかりません

「男は産むことができないのだから、最終的な選択はカナコに委ねる。その決断に、自分も添う」というのは一見優しいようで、丸投げに過ぎない。一生を左右する重大事なのだから、命にかかわることなのだから、「子どもができたら、もちろんできる限りのことはする」という決意以前に、産むのか産まないのか、どういう不安の種があってそれにどう向き合えばいいのか、根本的な悩みを共有したい、自分一人に決めさせないでほしい、というカナコの想いは、多くの男性に届いてほしいなと思う。

 それは「女はすぐに共感を求める」という話ではなく、一緒に生きていくためのベースを一緒に悩みながら整えていきたい、という願いは、子どもを産む・産まないに限らず、多くの女性が抱えているものであるはずだから(もちろん、勝手に決めてしまう女性に対して、男性がそう思っているケースもたくさんあると思うので、性別に限った話ではないのだが)。

 なぜなら、そのベースを共有していれば、仮に子どもを持つことが難しい状況に陥ったときも、主体的に持たない選択をしたときも、納得して前を向けるんじゃないかと思うからだ。

子どもが欲しいかわかりません

 仕事は大好きだけど夫との子を産まない人生がいやで産んだ人。自由に生きていたいから産まない決意をした人。セックスレスだけど妊活すると決めた人。カナコのまわりにはさまざまな女性が登場する。そのすべての人に少しずつ想いを重ねながら、最終的に決断するのは自分しかいないのだということも突きつけられる。でもどの道を選んだとしても、決して間違いではないし、心が決まるまでは存分に悩んでいいのだと背中を押された気がした。

文=立花もも