醍醐虎汰朗の“感情”、森七菜の“変幻”…『天気の子』に一度でも触れてしまった人に贈るオーディオブック

アニメ

公開日:2020/10/28

 日本を代表するアニメーション監督・新海誠が、『君の名は。』の次に手がけた2019年公開の映画『天気の子』。国内興行収入は140億円を突破、第43回日本アカデミー賞・最優秀アニメーション作品賞ほかを受賞するなど、絶賛を集めた本作をもう観た、何度も観たという人は多いだろう。監督自らが執筆した『小説 天気の子』も読んだし、先ごろ連載が完結した窪田航の漫画版『天気の子』(最終3巻は10月23日発売)も読んだ、という人もきっと少なくないのでは。

 新海作品史上最も複雑な「後味」を放つ『天気の子』の魅力は、一度でも触れたならば、この作品のことをもっと知りたい、もっと探りたいという衝動をもたらすことにある。映画を繰り返し観るだけでなく、小説も読んで漫画も読み……とメディアを行ったり来たりする中で、作品世界への理解が深まるのだ。

『天気の子』に一度でも触れてしまったすべての人々にとって、第3のメディアミックスが実現したというニュースは、大きな吉報となることだろう。そのメディアとは、オーディオブックだ。アニメで帆高役を務めた醍醐虎汰朗、陽菜役の森七菜が、文庫版で320ページに及ぶ『小説 天気の子』を朗読した。

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 地の文の比較的平坦な朗読から、それぞれが帆高と陽菜に“なる”瞬間は、どのシーンにも鳥肌ものの快感が宿る。そればかりか、男性の役はすべて醍醐が、女性の役はすべて森が演じ分けているのだ。

醍醐虎汰朗の「感情」

 高1の夏、離島から家出し東京にやってきた少年・帆高は、住み込みで働き出した編集プロダクションのバイトで「100%の晴れ女」という都市伝説の取材を始める。その正体は、弟とふたりで明るくたくましく暮らす少女・陽菜だった。連日降り続ける雨空も、彼女が祈ると晴れ渡った。二人の出会いが、世界を変えることになる——。

 小説版は、冒頭部がアニメとは大きく異なる。「序章 君に聞いた物語」は、本編で語られる事件によって<世界の形を決定的に変えてしまった>後の、帆高の姿が描かれるのだ。冒頭の一行は<三月の雨空に、フェリーの出航を知らせる汽笛が長く響く>。その先に続く文章は、<このフェリーで東京に向かうのは、人生で二度目だ>。

 醍醐虎汰朗はそれらの文章を、アニメのナレーションのテンポよりも少しゆっくりと、そしてクールに朗読している。本編の事件が起こった時よりも、未来の帆高は大人になっている。序章でそう感じられる声質を提示できていたからこそ、初めての東京行きのフェリーに乗った場面から始まる「第一章 島を出た少年」では、帆高のセリフがより若々しく、みずみずしいものとして聴き手の耳に届く。うまい。心地いい。

 今回の朗読ならではの面白さが噴出するのは、豪雨が直撃しフェリーから振り落とされそうになった帆高を救った、須賀圭介との会話シーンだ。アニメでは小栗旬が演じていた須賀のセリフを、声質を変えて醍醐が読む。「すげえ雨だったなあ」「イヤーー、なかなかうまいよこれ」。言葉と言葉の間がふかふかしていて、語尾が絶妙に伸びていて——まるで本当に小栗旬が読んでいるよう!

 クライマックスシーンで帆高は、目の前に立ちはだかる大人たちや、大多数にとって利益となる行動を取れと突きつけてくる社会に対して、叫ぶ。アニメ同様、カギカッコのセリフは温度が高い。が、そのセリフが出現するに至った背景を紡ぐ地の文の朗読では、醍醐はクールさを保つ。熱さが、より熱く感じられるように。全編が熱くなってしまうことで、暑苦しさを感じさせてしまわないように。とはいえクールさの中には明らかに、ふつふつとした感情が泡立っている。それが時おり、声に乗る。語り手の我慢と、我慢し切れない感情の高まり、その両方を味わうことができるのはオーディブルならではだ。

森七菜の「変幻」

 もう一人の主人公である陽菜=森七菜の声が本格的に入り込んでくるのは、泊まる所のなかった帆高が深夜をやり過ごす、新宿のマクドナルドのシーンからだ。バイトをしていた制服姿の陽菜が、帆高にビッグマックを差し入れするエピソードで、「あげる。内緒ね」「君、三日連続でそれが夕食じゃん」。その声質は、帆高よりも明らかに大人っぽい。この物語は、最初は子供っぽかった帆高が大人になり、大人っぽかった陽菜が子供になる——子供でいてもいいんだと認める。そうした変化が二人の声質によって表現されている物語なんだと、朗読という「声だけ」に特化したメディアへの変換によって、改めて実感させられた。

 森パートの聞きどころはやはり、編プロの先輩バイトである大学生・夏美の声だろう。アニメでは本田翼が演じていたが……第一声は「私は夏美、よろしくね」。「ねえ少年さあ。さっき胸見たでしょ」。この気怠さといたずらな色っぽさは、夏美以外の何者でもない! 森はその他の女性キャラクターや、陽菜の弟・凪(アニメで演じたのは吉柳咲良)、フェリーの船内アナウンスなど——様々な声を引き受けている。同じ人間が無数の人物を演じる、変幻自在の変身感は、圧巻のひとことだ。特に、小説では<若いのか老いているのかよく分からない>と描写されている占い師が、別人格としか思えない声で最高。

 また、アニメにはないが小説には存在するものの筆頭が、帆高以外のキャラクターのモノローグだ。森は今回、陽菜のモノローグを声にする、という表現に初挑戦している。陽菜はしんどいことの多い日常の中で、たくさんの小さな祈りを胸に唱えながら生きてきたことが、強いリアリティを放って聞き手の耳に飛び込んでくる。

新海誠の「詩性」

 映像もなければ、音楽も、音響効果もほぼない。にもかかわらず、朗読を通して脳内に豊かなイメージが炸裂していくのは、醍醐虎汰朗森七菜の声の力のなせるわざだ。両者の声は、新海誠の言葉が持つ詩性を証立てる。二人は「ダ・ヴィンチ」10月号の対談で、「朗読したことで、新海作品の詩的な言葉の美しさを改めて実感した」と語った。声に出して読まれることが前提である脚本と違い、小説の文章は情報としてのなめらかさが重視される傾向にあるが、新海誠の小説の文章には「音」の美しさも宿っているということだろう。聴けばそのこともまた、分かる。

 メディアミックス作品は、良質なものであればあるほど、原典に戻りたくなる。手に入れた「発見のかけら」を、原典に照らし合わせてみたくなるからだ。今回のオーディオブックに触れれば、また『天気の子』の映画が観たくなる。

 幸福な往還運動がまた、ここから始まる。

文=吉田大助