推しがファンを殴って炎上!? 『推し、燃ゆ』の主人公に見る、切実な自尊心の保ち方【芥川賞受賞作】

文芸・カルチャー

更新日:2021/1/21

推し、燃ゆ
『推し、燃ゆ』(宇佐見りん/河出書房新社)

 最年少での三島由紀夫賞を受賞した宇佐見りんさんの2作目にして、芥川賞にノミネートされた『推し、燃ゆ』(河出書房新社)はタイトルどおり、推しが燃える、すなわちSNSで炎上する話である。主人公のあかりは高校生。就職活動をしているのか、と問われるシーンがあるからたぶ3年生。勉強やアルバイトだけでなく、生きる上で必要なあらゆることが「普通に」「ちゃんと」できなくて、唯一頑張ることができるのが、「まざま座」というアイドルグループのメンバー・上野真幸を推すこと。推す、という言葉が普及したのはつい最近のことだと思うけれど、ハマるとか追いかけるとかファンとか、そんな言葉では代替できない強さと熱がそこにはあるのだと、本書を読んでいるとよくわかる。

 推し方は、人によってもちろん異なる。あかりのスタンスは〈作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった〉。それは恋愛とはちがう。あかりの友人・成美は有名なアイドルグループから地下アイドルに推し変し「触れ合えない地上より触れ合える地下」で推しとも「繋がる」ことに成功するが、あかりは〈触れ合いたいとは思わなかった。現場も行くけどどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい〉。推しへの想いは激しい恋慕に似ているけれど、決して恋ではないのである。

 ああ、わかるー。と思った。ひとたび推しに認知されて、自分も相手も生身の人間になってしまえば、推しを推すその神聖な場はただの現実になってしまう。あかりほどの情熱でなくとも「これがあるから生きていける」という推しのイベントは、日常のなかにまぎれる非日常だからよいのであって、どんなに愛して解釈して語りつくしたところで、決して自分と同じ目線には降りてこないから、全身全霊をもって推せるのだ。

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 あかりは、現実の重みに耐えられない。〈みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる〉彼女にとって、推しへの情熱を燃やし続け、解釈するブログを書き続ける、そんなふうに自分でも頑張れることがあるのだという実感だけが生きる支えであり、背骨。失えば身体を支えられなくなって、地に伏してしまうほどの存在だ。

 あかりの「一生懸命」は誰にも伝わらない。バイトは「一生懸命なのはわかるんだけど」とクビになり、面倒見のいい優しい姉には「寝る間も惜しんで勉強している私や、吐き気や頭痛をこらえて毎日仕事行ってるママと、推しばっかり追いかけてるあんたの行為を、同じ頑張りでくくらないで」という旨のことを泣きながら言われる。あかりの「一生懸命の頑張り」が認められ報われるのは、推しを解釈する文章を書き続けるブログとその読者という狭いコミュニティだけ。それなのに、推しがファンを殴って炎上し、彼女の世界から消えてしまったら……?

 現実にも身体の重みにも耐えられず、立つこともできない彼女がそれでももがき生きようとする姿は、推しをもたずとも生きることに不得手な人にきっと響くはずである。

文=立花もも