ワケあり逃亡中の男女が暮らすシェアハウス。雷雨の晩に現れた青年をきっかけに人生がふたたび動き出す『ムーンライト・イン』

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/3

ムーンライト・イン
『ムーンライト・イン』(中島京子/KADOKAWA)

 誰かとともに生きていくために、一度、ちゃんと別れることも大事なのだなあ、と『ムーンライト・イン』(中島京子/KADOKAWA)を読んで思う。

 本作は奇妙な同居生活の物語。80代、車椅子ユーザーの新堂かおる。50代、家事全般とかおるの介助を担当する津田塔子。20代、在宅の英語教師で、元看護師のマリー・ジョイ。そして70代、オーナーの中林虹之助。かつてペンションだった「ムーンライト・イン」に暮らすワケあり男女のもと、ある雷雨の晩、やってきたのが35歳の栗田拓海。職を失い、家も解約し、自転車に乗って旅に出た彼は、屋根の修理を請け負うことを条件に一晩泊めてもらうが、なんやかんやと用事を言いつけられて、気づけば5日。そろそろ出ていくかと思った矢先に踵を骨折。晴れてシェアハウスの仲間入りを果たすけれど……。

 どうやら彼女たちはみんな逃亡中の身、らしい。冒頭、拓海の訪れにかおるは「居場所を知った息子が連れ戻しに来たのでは」と警戒し、塔子は「ひょっとしたら裏から逃げたほうがいいのかもしれない」と怯える。

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あのことを知っているのは自分とかおるさんだけで、その後、誰かが騒ぎ出したような気配はない。

と続く文章も、不穏である。マリー・ジョイだけが、てらいなく玄関に向かい拓海に応対するけれど、彼女もまた、会いたいけれど会えない人がいて、その探りを入れるためにペンションに住んでいることが、やがてわかってくる。拓海も、ただの呑気なフリーターかと思いきや、生きる意欲さえ失いかけて旅に出た、らしい。かつて人妻との恋にやぶれた虹之助だけが、好々爺然として屈託がないけれど、じつはその人妻の正体は……。

 と、それぞれの事情が少しずつ明かされていくにつれて、物語の様相が変わってくるのだが、その明かされ方が絶妙だ。「なになに、どういうこと? なにがあったの?」と、どこか野次馬根性で5人の人生を覗きみるうち、それぞれに感情移入し、読み手の私たちもシェアハウスの一員になったかのように、全員の幸せを願いはじめてしまう。かおるを認知症扱いする息子と嫁には怒り心頭であるし、塔子の秘密を知れば、そうせざるをえなかった状況にやるせなくなるし、マリー・ジョイの過去がわかれば拓海と一緒に胸を痛めてしまう。がんばれ、拓海。マリー・ジョイのことが好きなら、そんな失意を抱えたまま祖国に帰らせないで! とじれったくなりながら、〈宙ぶらりんで、重石のない、軽々しい人生〉と自分に自信をもてない彼にも、気持ちを寄せてしまう。思いがけない恋の結末を迎える虹之助……は、まあ、ちょっとしょうがないかなと思いつつ、でもやっぱり、胸が痛い。

 家族でもない大人たちがともに暮らす日々には、最初から、別れの気配が漂っている。どんなに居心地がよくても、こんな生活がいつまでも続かないということは、読者も、ムーンライト・インの住人たちも、わかっている。それでも、この出会いを繋いで、新しい希望に変えていきたいと願ったとき……。相手の傷も痛みも受けとめて、ともに生きていくためには、まず自分がひとりで立てる強さを得なくてはならないのだろう、と思う。それぞれの過去に決着をつけ、一歩を踏み出す彼らの、別れが新たな始まりであることを願ってやまないラストだった。

文=立花もも

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