到達者はわずか13名の「水深1万メートルの“超深海”」! 極限の冒険と最新科学の知見でその全貌に迫る『なぞとき 深海1万メートル』

スポーツ・科学

公開日:2021/3/17

なぞとき 深海1万メートル
『なぞとき 深海1万メートル』(蒲生俊敬、窪川かおる/講談社

 地球表面の71%を占める海には、水深6000メートルを超える“超深海”と呼ばれる層がある。その最深部であるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵の深さは1万920メートル。もちろん、そこには太陽の光も届かない。そして1000気圧を超す水圧がかかっている。これは1平方センチあたり約1トンの力がかかる、想像を絶する高圧だ。この暗黒の極限地帯まで潜航したことのある人間はほとんどいない。

“現時点(2020年の夏)で、世界最深のチャレンジャー海淵(1万920メートル)まで潜航した人を数えてみると、(中略)わずか13名にすぎない。
 いっぽう高度100キロメートル以上の宇宙空間に行ったことのある人間の数は、2020年8月現在で566名に達している(JAXA〈宇宙航空研究開発機構〉のウェブサイトより)。”
『なぞとき 深海1万メートル』p.46~47より

 つまり、人類にとって超深海は宇宙よりも未知で、遠い世界といえるかもしれない。本書『なぞとき 深海1万メートル』(蒲生俊敬、窪川かおる/講談社)は、この超深海を目指してきた人類の挑戦と、その意外にも多様で不思議な暗黒の世界を解明していく科学の営みをまとめた1冊だ。

 そもそも海底とはどのような場所なのか。海底には陸上と同じように山や谷があり、起伏に富む複雑な地形が広がっているという。そんな海底地形を知るためにかつての人々は、船べりからおもりをつけたロープを海中に垂らして海底までの距離を探った。本書では、そうした人類の海底探査の歴史を科学者や探検家のエピソードを交えながら振り返っていく。

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 第4章で取り上げられるのは、2019年に登場した超深海探査のヒーロー、ヴィクター・ヴェスコーヴォというアメリカの探検家だ。彼は自ら準備した潜水艦と母艦で超深海に挑み、わずか10カ月足らずで大西洋・南極海・インド洋・太平洋・北極海の5大洋すべての最深点へ単独潜航を成功させた。この歴史的快挙によって超深海の姿が少しずつ明らかになり、探査に同行した科学者による学術的な研究についても、現在まで継続的に論文が発表されているという。極限の冒険と最先端科学が未知の領域を切りひらいていくミッションの一部始終は、本書のハイライトのひとつといえるだろう。

 さらに、超深海に隠されたいくつもの謎を本書では明らかにしていく。たとえば、海の水は温度と塩分によって密度が異なり、表層と深層でふたつの層に分かれているという。この層が維持されたままだと深層には酸素が行き渡らなくなり、生物が棲めなくなってしまう。しかし、現実にはそんなことはなく、表層から深層まで酸素は運ばれている。いかにして、自然は海の表層から深層までおよぶ循環を可能にしているのか。地球規模の“循環システム”の複雑で緻密な仕組みと神秘に驚かされる。

 そして、やはり面白いのは海の奥深く、暗黒の世界に棲む生き物たちだ。超深海の生物たちはなぜ超高圧に耐えられるのか、そもそも栄養源は何なのか。過酷な環境に適応するために進化した奇妙な姿や生態に興味は尽きない。熱水とともに硫化水素などの毒ガスを吹き出す熱水噴出口や、クジラの死骸に群れ集う生物たちの独特な生態系にも、生命活動の多様性を思い知らされる。

なぞとき 深海1万メートル
https://www.grida.no/resources/13339 からの図(Riccardo PravettoniとPhilippe Rekacewicz
作)を一部改変

 本書では、そのほかにも深海の熱水鉱床の鉱物資源としての可能性や、深海の海底にまで及ぶマイクロプラスチックによる環境汚染の実態など、さまざまな角度から超深海の知られざる姿をわかりやすく教えてくれる。本書を読むことによって超深海はただの暗黒の世界ではなく、地球全体にとって重要な意味を持つ、とても興味深い場所に見えてくるはずだ。

文=橋富政彦