塩谷舞がほんとうの自分を取り戻すまでの心の旅の記録『ここじゃない世界に行きたかった』

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/13

ここじゃない世界に行きたかった
『ここじゃない世界に行きたかった』(塩谷舞/文藝春秋)

故郷も、東京の仕事場も、散らかった部屋も「ここじゃない」場所だった

 スマホやパソコンだけ見て1日が終わってしまうことはないだろうか? テレワークが増えたせいか、「SNSに気をとられて仕事が進まなかった」「また通販でムダ遣いしてしまった」「誰とも話さなかった」と、ネット依存気味で自己嫌悪に陥っている人の声を聞くようになった。

 ネットの世界が、人の関心を引く情報であふれているのは、テクニックに長けた仕掛け人がいるからだ。インフルエンサーとして注目を集め、一時は「バズライター」と呼ばれていた塩谷舞さんもその一人だった。しかし、自分の感性や感情にフタをして、ネットユーザーの心理を巧みに操る仕事に良心の呵責を感じた彼女は、適応障害になってしまう。初のエッセイ集『ここじゃない世界に行きたかった』(文藝春秋)は、塩谷さんがかつての仕事と決別して再スタートを切り、本来の自分を取り戻すまでの葛藤と再生を綴った心の旅の記録だ。

「ここじゃない」の「ここ」には深い意味があり、共感するところも多い。それはたとえば、塩谷さんが生まれ育った大阪の千里ニュータウン。「つくられたユートピア」という平和なその町で、三人姉妹の末っ子として育った塩谷さんは自分のことを、「小綺麗でペラッペラの、つまらん人間」だと思っていたという。そして、塩谷さんが多忙な時期に住んでいた東京のマンションも、安いビニール傘がどんどん溜まって使わないモノがあふれた部屋だった。

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 刺激のない故郷も、余計なもので散らかった部屋も、心身が疲弊する仕事場も、きっと誰もが「ここじゃない」と思ってしまう場所だろう。

自分の考えを言葉にして書くことはセラピーと同じ

 そこから別世界に逃避するように、ニューヨークに移住した塩谷さんは、アイルランド留学を経て、ニュージャージーにある現在の自宅に落ち着くまで、場所を変え、景色が変わるたびに自分を取り戻していく。自分の考えを丁寧に言葉にして、美しいものを美しいと素直に感じるようになり、感性が似た友人と出会って生活を楽しむ様子は、読み手にも多くの気づきを与えてくれる。

 一方で、これからも美しいものに感動するためには、環境問題を無視するわけにはいかないと、小さな一歩も踏み出す。誇張や脚色で演出されたあやしい情報に疑問を呈し、使ってもいない商品のPRを頼まれてもキッパリと断る塩谷さんの潔さは、清々しいほどだ。

 その姿はまるで『オズの魔法使い』のブリキの木こりに心が宿ったように、生き生きとしている。自分の心を、言葉を取り戻すと社会の大きな繋がりも見えてくるのだろう。自分の頭で考え、感受性を全開にして世界と向き合う力は、人間に与えられた最高のギフトなのだと、この本を読んで思う。

 では、私たちはどうだろう? やりたくもない仕事で心が疲弊していないだろうか。美しいものを素直に美しいと思う感性はあるか。ネットの情報を鵜吞みにして自分を見失ってはいないだろうか。

「偏愛を極めて、極めて、極めて生きたほうがずっと、出会うべき誰かと強く惹かれ合う」という彼女の言葉は、自分が何を欲しているのかわからない人ほどズシンと重く響くと思う。

 人生は短い。他人の思考や価値観の押し売りに付き合っている暇はないのだ。

「書くことは、自分で自分を癒してあげるセラピーのような行為」と塩谷さんが言うように、自分を取り戻したいときは、いったん立ち止まって正直な思いや考えを言葉にしてみるといい。

 たとえ情報の濁流に飲み込まれても、心の声に耳を傾ける静かな時間があれば、濁った水の表面が透き通ってくる。そうすれば、今まで見えなかった美しい世界や、本来の自分が求めていた世界が見えてくるはずだ。

文=樺山美夏