ゲーム、YouTubeは何歳からOK?子どものポテンシャルを育てるデジタル・コンテンツ活用法

出産・子育て

公開日:2021/5/23

デジタルで変わる子どもたち――学習・言語能力の現在と未来
『デジタルで変わる子どもたち――学習・言語能力の現在と未来』(バトラー後藤裕子/筑摩書房)

 子育てにおいて悩みのタネは尽きることがない。その中でも、ここ数十年世界中の人々を悩ませてきたのは「デジタルとの向き合い方」ではないだろうか。『デジタルで変わる子どもたち――学習・言語能力の現在と未来』(バトラー後藤裕子/筑摩書房)は、英語を母国語としない人の英語学習や、子どもの第二言語習得を専門としている著者の見地から、どのようにすればテクノロジーやコンテンツを育児・教育に使うことができるかが科学的に考察されている。主な考察対象は、2000年前後以降に生まれた子どもたち・若者たちのテクノロジー使用と、彼らの言語発達・能力との関係だ。

 筆者も2人の子ども(5歳と0歳)を育てている最中だが、デジタル・コンテンツやテクノロジーをどのように育児・教育に取り入れるか悩み続けてきた。私自身は6歳前後のときにスーパーファミコンを手にして、漢字の読み方、オーケストラの素晴らしさ、家族とは何かなど、多くの物事や感情を主にRPGから学んだ記憶がある。映画やテレビからも多くを学んだ。そのため、子育てにおいてゲームや映像コンテンツを取り入れることにさほど否定的ではない。しかし、見事な手さばきでYouTubeをタブレットで視聴する5歳児を見ていると「本当にこれでいいのか?」と思ってしまうことが多々ある。

「デジタルはうまく育児・教育に取り入れれば効果的なこともある」というのは概ね世間で合意が図れていると思う。では、どのようにしてそれは実現するのだろうか。まず著者は様々な実験結果を例示して、読者に背景知識を与えてくれる。特に、著者の専門分野である英語学習の知見から、第二言語としての英語習得の事例をあげて解説がなされている。

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デンマークの7歳から11歳までの小学生が、放課後や家庭でどのようなデジタル活動をしているのかを調べたある研究では、ゲームのエキスパートが英語を媒介してゲームを行っていることに触発されて、わざわざデンマーク語ではなく英語を選んでプレイしたり、ゲーム・コミュニティの一員になるために、機械翻訳などを使い、外国語でのやりとりにも挑戦したりするなど、目標をもった言語使用をしていることが報告されている。

 小さい頃から動画をたくさん見ても悪影響にならない方法は、上記の例のように何か目的意識やストーリー性が伴った視聴のしかただという。たとえば、著者は英語学習を始めた子どもたちに『浦島太郎』を英語で聞かせ、話のすべてを理解できなくても何度も何度も聞かせるうちに、「今、turtle〈亀〉と言った?」などという発見が出てきて聞こえる単語が増え、付随して、関連する今まで知らなかった単語を学べるという教授法を示している。子どもに人気があるデジタル・コンテンツには、このような「繰り返し要素」があるものが多いそうだ。

 ここで注意すべきなのは、子どもそれぞれがどのような疑問を抱くかというのはバラバラであるという点だ。そのバラバラさこそが、社会における学びや言葉の豊かさを担保する。しかし現状の市場においては、それを阻害する可能性の高い未熟なAI教材が流通しすぎているという。

近年、言語教育では、ネイティブ・スピーカー神話(ネイティブ・スピーカーの発音を理想化する姿勢)の悪影響から解放され、ネイティブにいかに近い発音を身につけるかを目指すのではなく、どれだけ通じやすい発音を身につけるかを目指すべきであると考えられるようになってきた。その矢先に、AIベースの発音矯正やスピーキング教材のせいで、また昔に逆行するのではないかと危惧されているのだ。

 また、クラスタの画一化が問題視されているSNSの長時間の使用も、読解力・学習能力の低下に影響しやすいという。一方で、「退化は進化」という言葉もある。退化に思える現象も、人類が次の地平に向かうための進化なのだろうか? 本書を手にとって、子ども・若者についてだけではなく大人のことも含めて、デジタルとの向き合い方を考えてみてはいかがだろうか。

文=神保慶政