矢部太郎が描く『星の王子さま』――原作への想いをまったく裏切ることがないどころか、むしろ押し広げてくれる新訳本

文芸・カルチャー

更新日:2021/6/22

星の王子さま
『星の王子さま』(サン=テグジュペリ:著、加藤かおり:訳、矢部太郎:イラスト/ポプラ社)

〈大切なものは、目には見えない〉というセリフが印象的なサン=テグジュペリの小説『星の王子さま』。誰もが目にしたことがあるだろう、首にスカーフをまいてさみしげにたたずむ金髪の少年のイラストもまたサン=テグジュペリの手によるもの。そのイメージと世界観を壊すことなく、オリジナリティを感じさせるイラストで新しい『星の王子さま』を届けたい――というポプラ社・編集者の想いにこたえたのは矢部太郎さん。

『星の王子さま』について「複雑なことを抽象化して物語にしていて、すごいなと感じています。いつか、こんな本を書けたらいいなと思っています」とテレビで語っていたことをきっかけに、企画が実現し、6月16日にポプラ社より『星の王子さま』(サン=テグジュペリ:著、加藤かおり:訳、矢部太郎:イラスト)が発売された。

 もとのイラストの印象があまりに強いから、変わることに戸惑いを覚える読者もいるかもしれない。だが編集者の狙いどおり、矢部さんの描く王子さまと彼が旅する星々は、私たちが抱く原作への想いをまったく裏切ることがないどころか、むしろ押し広げてくれる。

 たとえばサハラ砂漠に不時着した“ぼく”が、はじめて王子さまに出会ったときのこと。〈ねえ……お願い、ヒツジの絵を描いて!〉と夜明けにささやいた彼は、サン=テグジュペリのイラストではどこか神秘的な存在のように感じられたけれど、矢部さんの描いたその表情には、子どもらしいあどけなさが滲んでいる。“ぼく”が空から落ちてきたと知って〈おもしろいなあ〉と笑った顔からは、きゃっきゃっと甲高い声が聴こえてきそうだし、大切なヒツジや薔薇を想って膝を抱えて泣く姿には胸がきゅっと痛くなる。

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 王子さまとの出会いを軽い気持ちで読んでほしくはない、彼がどんなに懸命に生きていた人間だったか、ということを忘れないためにこの物語を書いたのだという“ぼく”の想いに、矢部さんは心から寄り添いながら描いた、ということがイラストの端々から感じられるのだ。

 バオバブの絵も、すごくいい。バオバブの芽を3つほったらかしにしてとんでもないことになってしまった怠け者の星のイラストは、ダイナミックかつちょっとまぬけなかわいさ。一方でページをめくれば夕日を眺める王子さまの背中があり、〈ものすごくさびしいと、夕日を見たくなるから……〉という彼に〈じゃあ、四十四回も夕日を見た日は、ものすごくさびしかったんだね?〉と問う“ぼく”とのやりとりが、シンプルな線とバオバブとのギャップでいっそう際立つ。

 加藤かおりさんの新訳も、いい。読みながら頭のなかに響く音が、とても優しいのだ。心に残るエピソードは人それぞれ、読むときの状況にもよるだろうが、〈自分を裁くのは、ほかのひとを裁くのよりはるかに難しい。自分を見事に裁けたら、そなたはまことの賢者じゃ〉という王さまの言葉には、改めて深く打たれた。

 どこにでもあるありふれた薔薇も、キツネや星も、たっぷりの愛情をそそぐことで自分だけの特別なたったひとつになる。世の中に、かわりのきかないものなんてほとんどないけれど、でも同時に、かわりのきかないものだらけなんだということを、王子さまに教えられる一冊である。

文=立花もも

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