村上春樹さんが自宅のレコード棚からクラシック名曲を厳選!『ノルウェイの森』ほか…小説の描写も振り返りながら音楽を嗜む1冊!

文芸・カルチャー

公開日:2021/6/24

夜が暗いとはかぎらない
『古くて素敵なクラシック・レコードたち』(村上春樹/文藝春秋)

 レコードを集めるのが趣味という作家の村上春樹さんが、自身のコレクションから96曲+4人のアーティストという100の項目で486枚のレコード盤を選び、そのジャケットをずらりと並べて、盤の紹介や感想、意見を綴った『古くて素敵なクラシック・レコードたち』(村上春樹/文藝春秋)。

 村上さんがクラシックのレコードを買うのに、まず演奏家や作曲家が選択の基準となり、さらには素敵なジャケット(いわゆるジャケ買い)であったり、安いからという理由もあるそうです。しかも世間で言われる「名盤」にほとんど興味がなく、ダメ元で面白そうなものを適当な価格で購入、気に入ったものを手元に残しているんだとか。

 本書には村上作品に出てくる曲もあるので、小説での描写も振り返りながら、どんな盤が取り上げられているのかご紹介します。

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ブラームス ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83

ノルウェイの森

『ノルウェイの森』で、京都の山奥にある療養所に入所していた直子のルームメイトであるレイコさんがひとり聴いていたのがブラームス。

 我々がコーヒー・ハウスに戻ったのは三時少し前だった。レイコさんは本を読みながらFM放送でブラームスの二番のピアノ協奏曲を聴いていた。見わたす限り人影のない草原の端っこでブラームスがかかっているというのもなかなか素敵なものだった。三楽章のチェロの出だしのメロディーを彼女は口笛でなぞっていた。
「バックハウスとベーム」とレイコさんは言った。「昔はこのレコードをすりきれるくらい聴いたわ。本当にすりきれちゃったのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」

 本書ではヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)とカール・ベーム(指揮)のレコードは取り上げておらず、ルドルフ・ゼルキン2枚、アルトゥール・ルービンシュタイン3枚と、2人のピアニストに偏しています。同じピアニストでどう違っているのか、ぜひ本書を読んで、レコードを聴きたくなります。

ロッシーニ 歌劇「泥棒かささぎ」序曲

ねじまき鳥クロニクル

 三部作である『ねじまき鳥クロニクル』冒頭にあり、「〈第1部〉棒かささぎ編」と章タイトルにもなっているロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ」序曲(ちなみに『ねじまき鳥クロニクル』の元となった短編『ねじまき鳥と火曜日の女たち』にも以下とほぼ同じ文章が出てくるので、興味のある方は探してみてください)。

 台所でスパゲッティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。スパゲッティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。

 電話のベルが聞こえたとき、無視しようかとも思った。スパゲッティーはゆであがる寸前だったし、クラウディオ・アバドは今まさにロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ちあげようとしていたのだ。

 数あるロッシーニの序曲の中で村上さんお気に入りの一曲だそうで、本書でもアバド指揮のロンドン響の盤が取り上げられています。ちなみにロッシーニはイタリア人作曲家で、「泥棒かささぎ」序曲の演奏時間は約10分、茹で時間のタイマー代わりにもうってつけ、なのです。

リスト ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

スプートニクの恋人

 リストのピアノ協奏曲は『スプートニクの恋人』で、すみれから届いた僕宛ての手紙に書かれていました。

 昨夜はローマでコンサートに行きました。シーズン・オフだから音楽にはとくに期待していなかったのだけれど、ひとつだけとても魅力的なコンサートに出会えました。マルタ・アルゲリッチがリストの一番のコンチェルトを弾いたのです。わたしの大好きな曲です。指揮はジュゼッペ・シノーポリ。さすがにみごとな演奏でした。背筋がぴんと伸びていて、視野の広い、流麗な音楽。でもわたしの好みからいうと、いささか立派すぎるかもしれない。わたしにとってはこの曲は、もう少し胡散臭い、大がかりな村祭りみたいな演奏の方がぴたりとくるのです。むずかしいこと抜きで、とにかくわくわくする感じが好きなのです。

 シノーポリは残念ながらすでに他界していますが、アルゲリッチは今も精力的に活動中です(本書では残念ながら取り上げられていません)。村上さんはスヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)とキリル・コンドラシン指揮のロンドン響の演奏がお気に入りのようで、本書で「ピアノが高々と飛翔し、地上ではオーケストラが燃えまくる」という表現で絶賛されておりました。

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番「大公」変ロ長調 作品97

海辺のカフカ

 ベートーヴェンの超有名曲である「大公トリオ」は、『海辺のカフカ』で高松の喫茶店に入ったトラック運転手の星野青年と白髪の店主の会話に出てくる。

「音楽はお耳ざわりではありませんか?」
「音楽?」と星野さんは言った。「ああ、とてもいい音楽だ。耳ざわりなんかじゃないよ、ぜんぜん。誰が演奏しているの?」
「ルービンシュタイン=ハイフェツ=フォイアマンのトリオです。当時は『百万ドル・トリオ』と呼ばれました。まさに名人芸です。1941年という古い録音ですが、輝きが褪せません」
「そういう感じはするよ。良いものは古びない」

 星野青年は店主に曲名を質問して「太鼓トリオ?」と聞き間違えていましたが(その後店主による詳細な説明があります)、もちろん本書でもこの盤は取り上げられており、「三人の名人が一堂に会しているわけだが、競争心みたいなものはなく、それぞれに最高の音楽を持ち寄って、ぴたっとひとつに合わせている」「ここには三重奏の魅力があふれている」と、小説と同じく“輝きは褪せない、良いものは古びない”という感想となっておりました。

 村上さんは本書冒頭の「なぜアナログ・レコードなのか?」で、「これはあくまで個人的な趣味・嗜好に偏した本であって、そこには系統的・実用的な目的はない」と書いています。

 コレクションというのはその人の性格が色濃く出るもの(個人的には最初に紹介される曲がストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』で、「え、その曲から始めるんですか村上さん!?」と驚きました)ですが、さて村上さんはどうなのか? ぜひあなたの目と耳でご確認ください!

文=成田全(ナリタタモツ)

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