「とりあえず生!」だけじゃない。ビールの多様な魅力を描いた『琥珀の夢で酔いましょう』

マンガ

公開日:2021/7/19

琥珀の夢で酔いましょう
『琥珀の夢で酔いましょう』(村野真朱:原作、依田温:作画、杉村啓〈『白熱ビール教室』著者〉:監修/マッグガーデン)

“ビール”と聞くと、どうしても飲み会のときの「とりあえず生で」という一言を思い出してしまう。景気付けの一杯目。味わうものというよりは、なんとなく流れで頼むもの。そういうイメージを持っている人も多いのではないか。

 そんなビールに対する印象を180度変えてくれる漫画がある。『琥珀の夢で酔いましょう』(村野真朱:原作、依田温:作画、杉村啓〈『白熱ビール教室』著者〉:監修/マッグガーデン)だ。この作品は、ビールの中でも特に「クラフトビール」の魅力について描いている。

 物語の舞台は、京都。とある広告会社で派遣社員として働く剣崎七菜は、仕事ができる一方で、派遣という立場からやっかみを買ったり正当な評価を得られなかったりして鬱屈としていた。せっかくのコンペで自分の案が採用されたときも「派遣なのに」と他の正社員に悪口を言われる始末。苛立ち、お酒を求めて京都の街を歩いていた彼女が、偶然見つけたのは、居酒屋「白熊」という新しくできたお店だった。

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 店主は男前だが、なんだかのんびりとしていて、ちょっと頼りなさげな野波隆一。そして、カウンターには、気取った格好をしたカメラマンの芦刈鉄雄が座っている。客は剣崎と芦刈の二人だけ、お店の内装も整っていない、おまけに芦刈は皮肉屋めいたことを言う。しかし、店に入ったことを後悔する剣崎の目の前に出された「クラフトビール」がその後の彼女の世界を一変させてしまう。

 出てきたのは、京都醸造の「一意専心」。一口飲んで、彼女は驚く。今まで飲んできたビールとはまるで違う、ホップの香りやスパイシーな味わい。そして、そんなすっきりと飲みやすいビールのお供に、甘みの強い聖護院大根を使った田楽も一緒に食べると、さらにビールの風味が変わり格段に美味しくなる。気がつけば、ずっと怒っていたはずの剣崎は笑顔になっていた。そして、ビールと料理にすっかり魅了された剣崎と芦刈は、この新しくできた居酒屋「白熊」を人気店にするために店主・野波に協力することを約束するのだった。

 正直、最初はクラフトビールをテーマにした漫画だと聞いて、ただ美味しいビールが紹介される作品以上のイメージが湧いていなかった。読み始めると、物語は想像以上に骨太で、ビール以外の部分でも十分に面白いことがわかる。

 女性の派遣社員として働く剣崎の、自分の意見が通らなかったり、上司の一声で簡単に進んでしまったりするような、理不尽な出来事や葛藤は生々しい。芦刈も、フリーランスのカメラマンとして、自分の作品が評価されなかったり、他の夢諦めた友人たちの言葉を思い出しては悩んだりと、彼なりの苦しさを抱えている。

 そして、そんな二人を勇気づけるのは、いつもクラフトビールだ。作品の中では、ビールと、それをさらに美味しくする料理の組み合わせである「ペアリング」が重点的に描かれる。野波の出す料理はどれも手が込んでいて美味しそうだが、ときには、パン屋で買ったパンとビールでピクニックをしたり、家でインスタントの料理とビールを合わせたり、とても自由だ。「決してこの組み合わせだけが正解ではない」という考え方が随所ににじみ出ているから、作品を読んでいても息苦しくない。

 巻を追うごとに、登場人物も増え、人間関係の描写の深みも増していく。そして、剣崎と芦刈、野波はそれぞれの道をクラフトビールという共通点を持ってもがきながら進んでいく。果たしてこの三人の偶然の出会いによる「ペアリング」はどんな味わいをもたらしてくれるのか。ぜひ本書を読んで確かめてほしい。

文=園田もなか

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