エースナンバー「10」を背負って東京オリンピックに臨む岩渕真奈の“なでしこジャパン”への想い

スポーツ・科学

公開日:2021/7/24

明るく 自分らしく
『明るく 自分らしく』(岩渕真奈/KADOKAWA)

 東京2020オリンピックのサッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の岩渕真奈選手。6月30日には、本人曰く「今までの自分の全てが書いてあります」という著書『明るく 自分らしく』(KADOKAWA)を上梓した。

 14歳でトップリーグデビューし、16歳からなでしこジャパンに選ばれ続け、海外のトップチームでもプレー。順風満帆なサッカー人生に見えるが、実はそんなことはない。

 常に自分よりも身体の大きな選手との戦い、度重なるケガ、なでしこジャパンを背負う重責など、たくさんの苦悩や逆境を乗り越え、チームの中心選手としてエースナンバー「10」を背負い、東京オリンピックに臨む。

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 そんな岩渕選手の、オリンピックへの意気込み、そして“大好きな”なでしこジャパンへの想いとは——。

※本原稿は『明るく 自分らしく』より一部抜粋・編集したものになります。

なでしこジャパンが大好き

 オリンピックが2020年に東京で開催されることになったときから、わたしにとっては「東京オリンピックで金メダルを獲れたら、サッカーをやめてもいい」と思えるぐらい、大きな目標になっていました。

 理想としては「自国開催で金メダルを獲って、サッカー選手を引退」です。現実的ではないかもしれないけど、それを理想の去り際に描くぐらいにはイメージしていました。

 中止ではなく延期になって、まだよかったと思いましたけど、「本当に開催できるの?」とずっと思っていました。それは、わたしたちアスリートだけではなく、日本のみなさんも同じ気持ちだったと思います。

 オリンピックは目標にしていた大会でしたけど、コロナ禍で大変な思いをされている医療従事者の方々の気持ちを考えたら、「オリンピックやりたい、楽しみ」と言うのはどうなんだろうと考えたこともありました。

 新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年3月頃から、試合も大会も次々に中止に追い込まれ、なでしこリーグも開催のめどが立ちませんでした。全体練習ができず、送られてきたトレーニングメニューに取り組む日々。いつ試合ができるかもわからない状況ではトレーニングにも身が入らず、心は宙ぶらりんでした。

 アスリートにとって、オリンピックが1年延期することは大きな意味を持ちます。

 わたしは2021年3月で28歳になりました。サッカー選手としての能力を考えると、このくらいの年齢がギリギリで、1年という時間が大きな意味を持つ年齢の人もいます。実際に、年齢的な面で悩みを抱えながら、オリンピックに向かってがんばっている選手もいたので、自分はまだ恵まれているほうなのかなと思ったこともありました。

 1年延期になったことで、個人として成長できている実感はあります。イングランドに移籍して、海外の選手とプレーする中でつかんだ手応えもあります。

 年齢を考えても、東京オリンピックが最後のオリンピックになると思っています。サッカー選手としてのキャリアは80、90%ぐらい来ていると思っていて、東京オリンピックの次の目標は、2023年のワールドカップ(オーストラリア、ニュージーランド共催)。そこまでなでしこジャパンの主力として試合に出て、できそうな手応えがあれば2024年のパリオリンピックを目指すかもしれません。

 選手としてのピークはいつだろうと考えたときに、周りの選手を見ても、30歳ぐらいかなと思ったんです。だから今のところ2023年以降、自分が現役でいることは、あまり想像できません。

“わたしのサッカー人生
©大木雄介

 わたしのサッカー人生は、なでしこジャパンとともにありました。U-17ワールドカップから始まり、U-20ワールドカップ、ワールドカップ、オリンピックとプレーしてきたので、代表に選ばれなくなったときに、自分はどういう気持ちでサッカーをするんだろうと考えることがあります。

 わたしは、なでしこジャパンが大好きです。自分にとって、すごく大きな存在です。女子サッカーの選手は、代表は引退したけど、サッカーは続けるという選手もいます。でもわたしは、いまのところそうは思えません。「サッカーをやめてなにするの?」と聞かれても、正直わからないですけど、なでしこジャパンがあってのサッカー人生だと思っています。

 なでしこジャパンのメンバーに選ばれなくなったときに、テレビで試合を見られるかといったら、たぶん見られないんですよ。応援できるかな……って思います。そこには悔しさがあるから。

 現時点での考えとしては、自分がある程度、自信を持ってプレーできなくなってまでサッカーはやらなくてもいいかなとは思います。そこは人それぞれですよね。長く続けている選手もいて、それはそれですごいと思いますけど、わたしにはきっとできません。

「早く、ぶちさんいなくならないかな」と若い選手に思われる前に、自分から去りたいと思っています。

 なでしこジャパンでは、いつか背番号10をつけたい気持ちがあります。年代別代表では10番をつけていましたけど、なでしこジャパンではないんですよね。ノリさん(佐々木則夫監督)のときは20番と16番で、高倉(麻子)さんが監督になってからは8番です。(編集部注※本編の取材はオリンピックのメンバー発表前に行われており、この時点での岩渕の背番号は「8番」。2021年6月18日にオリンピックのメンバー発表があり、初めて「10番」を背負うこととなった)

 これは本人に直接聞いたわけではないのですが、高倉さんはなでしこジャパンでずっと8番をつけていたので、8が好きな番号だという話を聞いたことがあります。8番には、高倉さんなりに意味があるのかもしれません。

 今日の女子サッカーは先輩たちが作り上げてきたものがあって、その上でわたしたちがプレーさせてもらっているんだなと感じます。

 2011年のドイツワールドカップ優勝があって、それを機に女子サッカーが一気に広がりました。女子サッカーが右肩上がりを描いてきた時代に、選手としてプレーすることができているので、特別な経験をさせてもらっていると思います。

 2011年の大震災のあとにワールドカップで優勝できたことは、わたしの人生にとって特別な出来事でした。そこで女子サッカーが注目されて、お客さんもたくさん入るようになりました。

 その後、わたしはドイツに行ってしまい、戻ってきたときにはリオデジャネイロオリンピックの出場権を逃し、リーグ戦の観客も減っていた時期でした。

 その両方を経験しているので、もっと女子サッカーのためにがんばらないと、という気持ちがあります。そのためにSNSを始めて、情報を発信するようにもなりました。SNSを通じて、応援してくれる人の存在も身近に感じることができています。やってよかったと思いますし、女子サッカーを広めるための手伝いができればなと思っています。

自分史上最高のコンディションでオリンピックへ!

 振り返ると、なでしこジャパンに選ばれるようになってから、オリンピックやワールドカップにベストコンディションで臨めたことは一度もありません。

 今回の東京オリンピックは、ケガさえなければいままでで一番いいコンディションで挑めると思うので、すごく楽しみです。

 これまで、たくさんの国際大会を経験してきましたが、勝ち上がるために必要なのは「チームの一体感」です。ドイツワールドカップ、ロンドンオリンピック、カナダワールドカップなどの結果を残した大会を振り返って、そう思います。勝つことに意識を向けて、ワンプレーに対するこだわりをみんなが持てるチームになれたら、結果はついてくると思います。

“勝ち上がるために必要なのは「チームの一体感」
©大木雄介

 年齢が上のほうになって思うのは、自分が澤(穂希)さんや宮間(あや)さんたちにしてもらったように、若い選手たちが自分のよさを発揮できる環境を作ってあげられたらなということ。自分がそうしてもらったからこそ、ありがたみもわかるんです。口で言うだけではなく、周りを助けられる、頼ってもらえる選手になりたいです。

 若い頃は、自分が点を取って活躍することが最優先。試合結果は二の次でした。いまは自分のプレーが悪くても、試合に勝つことが一番大事だと思っています。試合に勝つことに対して、関わる全員がどれだけ熱を持って取り組むか。それがオリンピックやワールドカップのような大きな大会で勝ち進むために、必要なことだと思います。

 でも本心を明かすなら、自分が活躍して、試合に勝ちたいです。その気持ちは、サッカーを始めた頃から変わらず持ち続けています。

【著者プロフィール】
岩渕真奈(いわぶち・まな)
1993年生まれ、東京都出身。アーセナル・ウィメンFC(イングランド)所属。14歳で日テレ・ベレーザでなでしこリーグ初出場。バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)やアストン・ヴィラLFC(イングランド)でプレー。日本代表では2011年ワールドカップ優勝、2012年ロンドンオリンピック準優勝などに貢献。

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