子育て中の違和感は社会につながっている――松田青子が綴る出産・育児エッセイ『自分で名付ける』

文芸・カルチャー

更新日:2021/8/31

自分で名付ける
『自分で名付ける』(松田青子/集英社)

『女が死ぬ』(中央公論新社)や『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)などが海外でも評価されている、作家で翻訳家の松田青子さん。『自分で名付ける』(松田青子/集英社)は、自身の妊娠期や出産、子育ての経験とその間の思いを綴ったエッセイだ。社会に対する違和感の正体を、文学を通して鋭くビビッドに、ポップに届ける著者の表現と同様、この1冊も我々に痛快な読後感と深い気付きを与えてくれる。

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 38歳で妊娠、2019年に出産した著者は、パートナーである「X」と、同居して子育てをサポートする実母とともに子どもを育てている。夫婦別姓を選ぶため結婚をせずに出産した著者が役所や病院で体験した不思議な会話や、妊娠中、無痛分娩を選んだ出産、育児のエピソード、そして自分に起きた変化に対する驚きを、シャープかつおかしさあふれる言葉で綴っている。

 出産の不安を伝えると「たいしたことない」とさらりと返すベテラン医師に頼もしさを感じたこと、子どもを乗せたベビーカーを押していると、道を妨げる「モノ」という扱いを受けること、何気ない周りの言葉に救われたことなど、出産・育児経験者の共感を呼ぶエピソードも多い。子どもが遊びから次の遊びへと移行する、そのあまりのシームレスぶりに、他の人が使う「シームレス」という言葉に疑いの心を持つようになったという話は笑ってしまった。経験者なら誰もが、自分が妊娠・子育て期に感じた疑問や驚きを、著者が率直かつユーモラスに言語化してくれたことに喜びを感じるだろう。

 一方で、世に数多ある育児エッセイとは一線を画す、目から鱗が落ちる指摘もある。産後、著者の育児のグチを聞くつもりで集まった仕事仲間が「全然大丈夫」という答えに拍子抜けしたエピソード。おもちゃ売り場も子供服も、そして親たちも、子どもに女の子らしさ、男の子らしさを押し付けていること。電車の優先席が活用されないことには、席を譲れないほど疲れ切っているサラリーマンを生む、社会の構造に問題があるという考察。いわゆる社会の「普通」から外れた妊娠・子育て期を通して、著者は、子育て中という限られたコミュニティで交わされている疑問や怒り、違和感は、社会の問題とつながっているとわかったという。

 日本で夫婦別姓が選択できないことや、男が家計を支えるという前提のもとで成り立った制度に苦しめられている女性がいることにも、本書は触れている。さまざまな場所で、さまざまな人が感じている生きづらさを、当事者間のネットワークだけでなく、社会全体で共有して解消していくことの必要性を著者は伝えている。

 本書は、『自分で名付ける』というタイトルが象徴するように、夫婦別姓や、パートナーの呼び方、「母性」など、世間で当たり前として受け入れられている名前や言い回しに切り込む話題が多い。本書を読むと、いかに自分たちが「男らしさ」「女らしさ」「母性」といった言葉に価値観を支配され、思考を停止しているかに気付くだろう。つわりや出産のユニークな体験談から、BTSの“Dynamite”を子守歌にしたという日常の些細な話まで、数々のエピソードに驚き、笑いつつ、誰かが決めた「名前」から自由になろうと心を決めたくなる。

文=川辺美希

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