読む順番で世界が変わる? 720通りの物語が生まれる道尾秀介『N』を読んでみた

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/5

N (集英社文芸単行本)

著:
出版社:
集英社
発売日:
N
『N』(道尾秀介/集英社)

 ミステリー作家の道尾秀介さんが、最新作で驚くべき挑戦をしている。なんと、「読む順番で世界が変わる」という異色の作品だ。タイトルは『N』(集英社)。表紙には不穏なNの字が配置され、反転しても成立する不思議なデザインになっている。『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)や『カラスの親指』(講談社文庫)などで「どんでん返し」を鍵に読者へ衝撃を与え続けてきた道尾さん。本作でも、読者が見る世界を自由自在にあやつる。

『N』には、6つの物語が収録されている。しかし、順番通りに読む必要はなく、自由に読んでいい。冒頭には、それぞれの章のタイトルと書き出しが載っており、そこから気になった作品を選べるという趣向だ。印刷も1章ごとに上下反転させる徹底ぶりで、読者が収録順にとらわれずに読むことができる。6つの物語を読む順番の組み合わせは、6×5×4×3×2×1=720通り。つまり、読者の選択によって720通りの物語が生まれる。

 とはいえ、「読む順番で世界が変わる」と言われてもまだピンとこないだろう。筆者は、6章それぞれの冒頭を見比べ、いかにもなミステリーの香りがする「眠らない刑事と犬」を1つ目に選んでみた。街で50年ぶりに起きた殺人事件で、現場から消えた犬がいる。刑事である主人公は事件の手がかりを得るため、成功率90%をうたうペット探偵に捜索を依頼する、というストーリーだ。…おもしろかった。素直におもしろかった。まさかという前提条件が崩れる瞬間が気持ちいい、6編の中でもかなり正統派なミステリー作品だった。

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 さらに、2つ目、3つ目と気が向いたものから読み進めていく。すると、だんだんとこの小説の「仕組み」がわかってくる。ひとつひとつは短編ミステリーとして成立しているが、舞台となる街や登場人物がリンクしている。たとえばA章で提示されたメインの謎はA章のうちに解決されるものの、途中で現れたある人物の真意は明かされない。その後B章を読むとその人物が掘り下げられ、不可解だった言動の謎が解けるというわけだ。同じ出来事や人物の印象が、章ごとに変化していくのがおもしろい。

「仕組み」がわかってくると、次なる疑問が生まれてくる。最後の章はどうなるんだろう? 連作ミステリーのラストは、別の章とのちょっとしたリンクだけでなく、ここまで読んで良かったと思わせる特別なカタルシスがほしい。自分が勝手に選んだ順番で、そんな満足感を得られるのだろうか? 期待と不安が入り混じる中、おそるおそる最後の「飛べない雄蜂の嘘」へと進んだ。

 さて、道尾秀介はどんな結末を用意しているのか…。本作のすべてのページを読み終えたとき、そこにはしっかりと連作ミステリー特有の感慨がたちこめていた。意外な動機が胸を打つひとつの短編ミステリーに仕上がりつつ、いくつか前に読んだ章がうまく“前振り”として機能している。「飛べない雄蜂の嘘」を6章のうち最初に読んだ人と、最後に読んだ筆者では間違いなくラストシーンで感じるものが違うはずだ。なるほど、これが「世界が変わる」ことかと膝を打った。

 あなたが選んだ順番で、この小説がどんな顔を見せるかはわからない。筆者はもうすべてを読んでしまったから、まっさらな気持ちで別のパターンを味わうことはできない。私たちが生きるこの世の中も、何をどんな順で知るかで、物事の見え方はまったく違ってくる。ぜひ、あなたの目でもこの小説を体感してほしい。

文=中川凌 (@ryo_nakagawa_7

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