でも、だって、仕方ない…。ダメ出しばかりの人生をリスタートする決意の物語『ミューズの真髄』

マンガ

公開日:2022/2/5

ミューズの真髄
『ミューズの真髄』(文野紋/KADOKAWA)

 読んでいくうちに苦しくなる、でも一気に読み切ってしまう、そんなマンガが『ミューズの真髄』(文野紋/KADOKAWA)である。

 Twitterや同人誌即売会「コミティア」で活動してきた作者・文野紋氏は、「どこか歪(いびつ)だが美しいキャラクター」を描き、短編集『呪いと性春』(小学館)を発表した。

 そんな文野氏の初連載である本作もまた、真っすぐ、明快に生きられない登場人物たちを美しく描いている。最初に私の率直な感想を書いたが、『ミューズの真髄』は辛く悲しくはない。主人公が必死に前へ進もうとする物語である。

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何ももっていない23歳女性が人生をリスタート

 主人公、瀬野美優(せのみゆう)は5年前に美大受験に失敗し、母親にすすめられるまま就職していた。彼女はある日、合コンで広告代理店勤務のイケメン・鍋島海里(なべしまかいり)と出会い、心をときめかせる。美優がホームレスから買ったシルバーリングを、鍋島は褒めてくれた。500円の安物でも、彼女にとっては一目ぼれの掘り出し物。美優はセンスを“わかってくれた”と感じ、テンションが上がる。

 嬉しい気持ちの美優は、合コン相手を知りたがる母親にうんざりしながらも、ふと受験前に買った油絵用のキャンバスを組み立てる。その日は気持ちが前向きになり、5年ぶりに絵が描きたくなったからだ。

 美優は“わかっている”彼と話をしたかった。母親にも誰にも話せない心をさらけ出したくて、鍋島に自分から会いたいと連絡し、いきなり彼のマンションへ向かう。そこでベッドで押し倒されながらも、勇気を出して自分を語る。

「こんな私を好きになってくれますよね」と言う美優に、彼は笑顔でこう言った「ホームレスが売っていたパクリデザインのアクセサリーも、君もお手軽で好きだよ」と。

 彼女は深く傷つく。帰宅すると母親がキャンバスを壊そうとしていた。彼女は改めて美優が受験に失敗したことを失敗と決めつけ、罵ってきた。

 そこで、美優はようやく目が覚める。好きなように人生をやりなおそう、そう思えたのだ。

 美優は家を出る。靴も履かずに、まだ何も描いていない真っ白なキャンバスを抱えて、美大受験の資料を携えて――。

「好きなように生きていい」と気付きをくれる作品

 本稿の冒頭で「読んでいて息が苦しくなる」と書いた。理由は美優が身近にいそうで、ともすれば他人とは思えないキャラクターだからだ。彼女は自己肯定感が低く、本心をさらけ出せず、“何事も上手にやれるちゃんとした人”になれないでいた。私は読んでいる自分の劣等感を刺激されながら、危うい美優がこれからどこへ向かうのか、心配になる。

 本作を読んで、美優をみて、「好きにすればいいのに」と思う人もいるだろう。ただ、そうできない人間は現実にたくさんいるのだ。私たちは「好きに生きるためのスキル」を培ってこなかった。その原因は、成功体験の少なさと、周囲から肯定されてこなかったことだ。美優は美大に入れず、母親や同僚からはダメ出しをされてきた。

 さらに美優は主人公だが、特別ではない。選ばれし者でもない(少なくとも1巻の時点では)。母に反発して着の身着のままで家を飛び出しても、母の選んだ仕事へ普通に行き、私物を取りに自宅へ戻れば母とはちあわせて気まずくなる。そして選択や行動を間違う。

 それでも彼女は、力強く前へ進めるようになった。

 そのきっかけの一つは、美優が家を出て知り合った龍円草太(りゅうえんそうた)だ。彼は彼女に描かせた自画像を「最高」と褒めてくれた。美優は思う。

もしかしたら自分を好きになるって
ひとに褒められて初めてできるようになるのかも

 人はささいな気付きで、自分を劇的に変えられる。もちろん“上手くやれないこと”を引きずっていても、好きに生きていい。人生をリスタートするのも自由だ。誰にでもその権利はある。

最後に一つだけ、鍋島はただのイケメンゲストキャラではないと書いておく。ネタバレになるので詳細は言及しないが、本稿を読んで作品を手にとろうと思った方は、楽しみにしてほしい。

 イージーに生きられない登場人物たちの物語に、私は魅入られている。苦しくても一気に読み切ってしまい、続きが気になりすぎる本作。続刊が待ち遠しい……!

文=古林恭

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