コナン・ドイル、エドガー・アラン・ポーから現代まで。「非日常の快楽」をもたらすミステリーの魅力を解き明かす

文芸・カルチャー

公開日:2022/4/6

怪異猟奇ミステリー全史
『怪異猟奇ミステリー全史』(風間賢二/風間賢二新潮選書)

「ミステリー」というと、探偵がロジカルに謎を解くというイメージがあるだろう。一方で、古い風習や伝承が残る山村を舞台に怪異とみまがう事件が起こり、幽霊や超能力といった超自然現象や疑似科学などが描かれる作品も数知れない。

 後者の、いかがわしくおどろおどろしいタイプのミステリーの歴史を「ゴシック」概念の誕生まで遡り、綾辻行人や京極夏彦、三津田信三や平山夢明、新名智や白井智之といった現代日本の作家諸氏に至る道筋を描いているのが、風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』(風間賢二新潮選書)だ。

 全編にわたっていくつも興味深い指摘がなされているが、筆者が特におもしろいと思ったのは19世紀の心霊主義(スピリチュアリズム)と探偵小説との関係だ。

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 シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルが後年、スピリチュアリズムに傾倒して「妖精の写真を撮った」と語る少女たちに対して擁護の論陣を張ったことは有名な話だが、この本を読むとそもそもホームズものやエドガー・アラン・ポーのミステリー作品にも、当時隆盛していた(今日的な目で見れば)疑似科学の影響が大量に混入していたことがわかる。

 たとえば19世紀には人相や骨格で犯罪者かどうか見分けられるという観相学・骨相学が台頭しており、ポーの『モルグ街の殺人』では犯人のオランウータンが黒人のメタファーとして使われていたり(骨相学の応用)、『盗まれた手紙』では表情の模倣によって相手の気持ちや思考を共有できることが描かれたり(観相学の応用)、ホームズも今では「科学的根拠がない、人種差別的な妄言」として否定されているロンブローゾの犯罪人類学を参照している。

 当時の知識人や文豪たちは血道をあげて心霊写真や妖精の写真について本物かどうかを論争していたが、その理由は今日ではわかりにくい。だが電気や磁場、放射線、レントゲン撮影など「見えないものを見えるようにする」のが19世紀科学のテーマのひとつであり、だからこそ幽霊や妖精の存在についても大まじめに科学として研究されていたのだという。

 当時、科学や論理と疑似科学、心霊主義がいかに交錯していたのかは、やはり心霊主義との対峙が、17世紀以来の経験者や立会人の記憶に基づく「証言」を重視するものから、機器による記録と統計学を重視する現代の科学研究のスタイルへの変化において重要だったことを書いた松村一志『エビデンスの社会学: 証言の消滅と真理の現在』(青土社)とあわせて読むと、さらに理解が深まる。

 うさんくさいものや不可解な謎を科学的、論理的に解き明かすのがミステリーだと思われているが、そこで用いられる「科学」や「論理」自体が時代の制約を受け、疑似科学が混入してしまう。歴史をたどることで、それがあらわにされている。ひるがえって、いま私たちが科学や論理だと思っているものは、いったいどれだけ正しいのだろうか――という疑問も湧いてくる。

 もちろん、怪異や惨劇にしても、探偵によるあざやかな推理にしても、そもそもミステリーに人が求めているのは非日常の快楽である。作家も読者もそのほとんどは科学者ではないから、科学的な正しさよりもおもしろさを求める。それは危ういといえば危ういが、しかし、その危うさこそが魅力であり、それが「怪異猟奇ミステリー」を生み出してきたのだと、改めて気付かせてくれる一冊だ。

文=飯田一史

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