心がくじけそうで逃げ出したいとき、彼女が授ける言葉に救われる! 「京都祇園もも吉庵」は、悩めるあなたに寄り添う1作

文芸・カルチャー

更新日:2022/6/10

京都祇園もも吉庵のあまから帖5
京都祇園もも吉庵のあまから帖5』(志賀内泰弘/PHP研究所)

〈人生はドーナツと同じ。ドーナツの穴は食べられない。けれども、穴が空いているからこそ、ドーナツは美味しいのだ〉というのは『京都祇園もも吉庵のあまから帖5』(志賀内泰弘/PHP研究所)に登場する京都祇園の元芸妓・もも吉の言葉。15歳から修業を積んで20歳で芸妓となり、母親から継いだお茶屋を営んできた彼女だが、祇園No.1として名を馳せていた娘・美都子がタクシードライバーに転身したのを機に、自身も一見さんお断りの甘味処・もも吉庵の女将に。名物は絶品の麩もちぜんざいだが、それ以上に齢70を過ぎてなお凛としたたたずまいを崩さないもも吉に悩み相談に乗ってもらいたい客が、ひっきりなしに訪れる。

 常連はもちろんのこと、美都子のタクシーに偶然乗り合わせた客もまた、ときどき、引き寄せられるようにもも吉に出会う。たとえば、他人への気遣いを第一に考えて生きてきた53歳の加奈子は、その気遣いがいっこうに報われないどころか、裏目に出ることの多い人生に深い諦念を抱いていた。「どんなに切なくても、どんなに辛くても、これ以上を望んでは神様の罰があたる」と自分に言い聞かせている彼女は、人並み以上に思いやりに満ちた我慢づよい女性だ。けれどどんなに欲の少ない人間だって、自分が好きでやっているからといって、心から尽くし続ければ多少の見返りがほしくなる。一言でいいから「あなたのおかげ」とか「ありがとう」とか自分を肯定してもらえる言葉がほしい。その葛藤に苦しむ彼女にもも吉は「秘すれば花」という世阿弥の言葉を授ける。

「人は誰かに懸命に尽くしても、報われんこともあります。いや、報われんことの方が多いかもしれへん。『おおきに』なんて言われんでもええ。いや、言われん方がええ。それが『秘すれば花』、その方が粋でっしゃろ」

 シリーズ5作目となる今作では、はっきりと語られることはなくなってきたけれど、1巻から折に触れてもも吉は、“気張る”ことの大切さ――自分を納得させるためだけにがむしゃらに“頑張る”のではなく、まわりを気遣って張り切ることこそが真の心意気なのだと伝え続けてきた。このセリフは、それと精神を同じくするものである。

advertisement

 そして、その言葉が加奈子に響くのは、発したのが他でもないもも吉だからだ。もも吉自身の来し方はそう多くは語られないけれど、彼女もまた「秘すれば花」を実践し、粋な生き方を貫いてきたことが伝わるからこそ、聞くほうもはっと視点を変えることができるのである。だからといってもも吉は、というよりこの物語は、我慢ばかりを重ねろとは決して言わない。望んだような結果はもたらされなくても、粋を貫いていればいつか思いもよらぬ形で喜びが舞い込むことがあるかもしれないという希望も、エピソードごとにさまざまな形で描きだしてくれる。

 粋とは、厳しさだけではない。募る恨みをもてあまし復讐に燃える男には「えろう心傷ついたやろ。ほんま辛うおしたなあ、よう耐えはったなあ」と寄り添う心ももつもも吉の言葉に触れたくて、ままならない現実を生きるための活を入れてもらうために、読者はページをめくる。シリーズ5作目ではあるが、どの巻から読んでも楽しめるつくりになっているので、心がくじけそうだったり、逃げ出したい気持ちになったりしている人は、ぜひ手に取ってみてほしい。

文=立花もも

あわせて読みたい