昭和最後のヒットソング/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑩

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/29

 周囲になじめない、気がつけば中心でなく端っこにいる……。そんな“陽のあたらない”場所にしか居られない人たちを又吉直樹が照らし出す。名著『東京百景』以来、8年ぶりとなるエッセイ連載がスタート!

 昭和歌謡曲が流れるバーでお酒を飲んだ。食事をしたあとに近くでもう一杯飲もうということになり、知らない店だったけれど勇気を出して扉を押した。すると、外観からは想像がつかなかった素敵な空間がひろがっていた。内装も照明も上品なスナックや純喫茶を彷彿とさせる懐かしい居心地の良さがあった。

 棚にはアナログレコードが沢山並んでいて、壁には大瀧詠一の『A LONG VACATION』のジャケットが飾ってあった。コンセプトは歌謡曲なのだそうだが、フォークソングもロックもパンクもニュー・ウェイヴも流れている。キャンディーズのあとに、忌野清志郎さんが流れたりするのが妙に落ち着いた。

 ほとんどは聴いたことがある曲だったが、なかには知らない曲もあった。マスターに店で掛かる音楽に基準があるのか聞いてみると、「一応、昭和までの曲にしようとは思っています」という答えが返ってきた。そう言われてみると腑に落ちる。

 昭和64年は1月7日で終わっているので、西暦では1989年1月7日までが昭和ということになる。私が小学校2年生で8歳だったときに昭和が終わったということだ。

 たしかに、子どもの頃にラジオやテレビから聴こえてきた曲ばかりが流れていた。そこで、昭和最後のヒットソングを記憶だけを頼りに自力で出そうということになった。思い出すためにネットを検索するのは禁止だが、答えを合わせるときにはネットを活用した。

「中島みゆきさんの、『糸』は平成でしたっけ?」

「平成なんですよ」

 中島みゆきの『糸』は意外にも平成になってから発表された曲だった。1992年発表なのでとっくに平成である。

 マスターいわく、『糸』はお客さんにリクエストされることが多いそうだ。マスターはこの曲が平成生まれであることを認識しているが、昭和の空気を感じさせる雰囲気があるので要求に応えてたまに流しているらしい。

 この調子で私は思いつく限り、これが昭和最後のヒットソングだろうという曲をあげていった。

「大江千里の『格好悪いふられ方』はどうですか?」

「あの曲は平成ですね」

 調べてみると、平成3年の曲だった。

「大事MANブラザーズバンドの『それが大事』はどうですか?」

「あれも平成ですね」

 調べてみると、平成3年の曲だった。

「リンドバーグの『恋をしようよ Yeah! Yeah!』はどうですか?」

「たしか、平成ですね」

 調べてみると、平成4年の曲だった。

 やってみると案外難しく、そこから立て続けに数曲出してみたが、なかなか平成最後という曲が出てこなかった。

「長渕剛さんの『とんぼ』はどうですか?」

「ええと、たしか昭和ですね」とマスターは少し自信がなさそうだったので、調べてみると、『とんぼ』は昭和63年10月26日に発売された曲だった。昭和が終わるまで、残り2ケ月と少しという絶妙な時期。昭和最後のヒットソングという定義に於いては、これ以上に相応しい曲は無いかもしれない。しかも、いまだに聴かれ続けている名曲でもある。『とんぼ』が出たことで、このテーマはここで打ち止めになりそうだった。

 そこから人生で最初に購入したCDの話に移った。私が最初に買ったのはバービーボーイズのアルバムだった。バービーボーイズか……。

 バービーボーイズの、『目を閉じておいでよ』という曲は私が初めてカラオケで歌った曲でもある。小学生の頃、近所の焼肉店でカラオケボックスの一時間無料券をもらい、そのまま家族で行くことになった。一人で唄うのが恥ずかしかったので、「お姉ちゃんと一緒なら」ということで、『目を閉じておいでよ』を唄った。母はその曲を唄う子ども達を眺めながら、「凄い曲だねぇ」とつぶやいていた。

 それもそのはずである。当時は歌詞の意味がよく分かっていなかったが、後から振り返ってみると、かなり過激な大人の男女による艶めかしい内容だった。「散々、恥ずかしがった挙句に、どんな歌を唄っとんねん」とは大人になった今だから思えることであって、子どもだった自分にとっては、詞の意味が掴めない部分に惹かれていたし、なによりKONTAさんと杏子さんのハスキーな歌声が大好きだった。

 バービーボーイズのCDを自分で買ったのが、4年生か5年生の頃だったので、『目を閉じておいでよ』はおそらく昭和に発表された曲だろう。

「バービーボーイズの、『目を閉じておいでよ』は昭和ですよね?」とマスターに聞いてみると、「ああ、際どいですよね」という答えが返って来た。これは期待できそうだと思いながら調べてみると、なんと『目を閉じておいでよ』が発表されたのは昭和64年1月1日だった。平成が幕を開ける1週間前。もう、これ以上は無いだろうということで会計を済ませて家に帰った。

 その翌日、東京で暮らしている同級生と会ったので、そのことを私は自慢気に話した。

『とんぼ』と『目を閉じておいでよ』のことは、まだ彼には伝えずに、「ネットで検索せんと記憶だけで昭和最後のヒットソングをなにか答えてみて」と要求した。自分には、『とんぼ』と『目を閉じておいでよ』という二枚のカードがあるので余裕があった。

 彼は、「えー、その頃なんて音楽聴いてなかったからな」と考え込んだ。

 そして彼が記憶から導き出したのは、Winkの『淋しい熱帯魚』だった。これは平成元年7月5日発売の曲だ。かなり惜しい。

 次に、光GENJIの『ガラスの十代』と彼は答えた。これは昭和62年11月26日の発売。惜しい。

 次に、「爆風スランプの『Runner』はどうかな?」と彼は言った。調べてみると、昭和63年10月21日に発売されていた。雲行きが怪しくなってきた。

『とんぼ』の方が5日あとに発表されてはいるが、当時の『Runner』のインパクトはあまりにも大きいものだった。

 最後に彼が出したのは、THE BLUE HEARTSの『TRAIN-TRAIN』だった。調べてみると昭和63年11月23日発売。『とんぼ』よりも後だった。

 私が隠し持つ、『目を閉じておいでよ』の感動が薄まってしまう。私にとっては大切な思い出の曲ではあるが、世間から見れば同級生が出した曲の方がより鮮明に記憶に残っている可能性が高い。この遊びに明確な勝ち負けは無いはずなのだが、さっきまであったはずの優越感が消え失せていた。

「いらんことすんなよ、どんな特殊能力やんねん」と私が不貞腐れながら言うと、彼は、「その頃、俺は自主的に音楽を聴いてなかったから、当時の街の風景をまず頭に思い浮かべてな……」とプロが講演会で話すようなことを語り出したので慌てて止めた。

 やはり、どこかで流れていた音楽が記憶の片隅に残っているものなのだろう。

 私が、「バービーボーイズの、『目を閉じておいでよ』は昭和64年1月1日に発売されてん」と伝えると、彼は「ああ」とつぶやいた。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は8月の満月の日、12日の公開予定です>

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又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設