友達なんて一人もいらない/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人⑮

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/8

 周囲になじめない、気がつけば中心でなく端っこにいる……。そんな“陽のあたらない”場所にしか居られない人たちを又吉直樹が照らし出す。名著『東京百景』以来、8年ぶりとなるエッセイ連載がスタート!

 FIFAワールドカップカタール2022が開幕した。初戦の対戦相手が過去4度の優勝を誇る強豪ドイツと決まってからは、本気のドイツ代表と戦う日本代表が観られることを楽しみにしていた。わざわざ説明は不要だろうけれど、これはサッカーの話である。

 しかし、その重要なドイツとの一戦は仕事のため生中継で観戦することができなくなった。家に帰って録画で観戦するしかない。自分が試合を観始める時間には試合結果が出ているが、観戦するまえに知りたくない。

 当然、結果が分かっていたとしても、試合の内容が変わるわけではないので、現代サッカーの戦術や、一流選手のパフォーマンスを楽しむことはできる。だが勝敗を知ってしまうと、答え合わせをするような結果ありきの視点が生まれてしまい、「だから、この後に失点してしまったのか」とか、「ここで決めないから負けてしまったんだ」と余計なことを考えてしまう。

 サポーターが喜ぶ光景が画面に映ると、本来なら臨場感溢れる映像に感動して現地の雰囲気を味わうことができるのだろうけれど、結果を知っていると、「そんなに浮かれているから、この後やられるんだよ」と意地悪な見方をしてしまうかもしれない。日本代表の試合結果を事前に知ることは百害あって一利なし。絶対に避けなければならない。

 なにより自分は日本代表を応援しながら観戦したかった。さすがに勝敗が出てしまった試合を観ながら、「決めろ!」と本気で応援する気にはなれない。

 そのため、仕事先ではサッカーの試合に関する情報を完全に遮断する必要があった。

「情報を入れずに、家に帰って一人で観るんです」と周囲に結界を張るかのようにアピールを続けた甲斐もあり、なんとか情報を得ないまま無事帰宅できそうだった。

 しかし、そんな帰り際に、「試合も白熱しているみたいですね」と声を掛けてきたスタッフさんがいて、嫌がらせがしたいのかなと思った。「白熱」と言ってしまうと、現時点では同点か一点差という僅差で試合が展開しているのだろうと容易に予測できてしまう。そんな情報を頭に微塵も入れたくなかったのだ。前半からドイツの攻撃が爆発して大量失点するかもしれないし、日本が相手の隙をついて先制するかもしれないという緊張感を味わいながら、サッカーが観たかったのだ。

 結果だけを知るということは自分のサッカーの楽しみ方としてあまりにももったいない。社会で生きていくということは、あらゆる考えの人と共存するということなので、ある程度は思い通りにいかないことがあることも理解はしている。だがサッカーくらいは好きなように楽しく観戦したい。

 どこに危険が潜んでいるのかわからない。スマホを開くことも危険だろう。ネットニュースは無慈悲に結果だけを垂れ流すし、知り合いから試合を観ているという前提で連絡が来ているかもしれない。スマホは試合が終わるまで開くことは避けよう。

 家までの帰り道、タクシーの運転手さんがラジオを聴いていたらどうしよう。それどころか、「日本負けましたね!」と無邪気に話し掛けてくるかもしれない。油断はできない。窓の外から運転手さんの顔を覗き見る。大丈夫だ。私と同じ眼をしている。知らない人に話し掛ける人間の眼ではない。

 そして、ついに家に到着した。私にとっての日本代表の初戦がいよいよはじまるのだ。私は世界の時計を止めることに成功し、二時間前にライブ中継で試合を観戦した世界中の人達と同じ条件で試合を観ることができた。

 私は浮かれていたのだと思う。家まで帰ってくれば安全だという気の緩みがあったのだろう。机の上でノートパソコンを開き、試合が途切れた時に少しだけ仕事をしようと余計なことを考えてしまった。それがいけなかった。画面の右下にLINEが勝手に表示されてしまった。

 そして、結果の流れが推測できるようなメッセージが一瞬見えてしまった。泣きそうになった。見なかったことにしようと思ったが、また他の誰かからLINEが届いていた。サッカー仲間で構成されているグループLINEだった。試合の流れなんて知りたくなかった。文章は読まずとも文体のテンションから結果まで予想できてしまう。

 まぁ、そんなこともあるだろう。四年に一度のお祭りだというのに夜中まで仕事している自分がいけなかったのだ。純粋に試合を観戦できなかったということが、あまりにもショックでモヤモヤしたまま試合を眺めてしまい、みんなと同じようには感動することができなかった。

 小学生の頃、まだ読んでいないジャンプの内容を教えてきた友達に怒ってしまったことがあったけれど、それと同じ暴力的な感情に支配されてしまった。私はネタバレ同好会に入会した覚えはない。W杯ほどメジャーな話題を共有することに抵抗を持つ人なんて皆無だろう。それはその通りだ。みんなで喜びも悲しみも分かち合えばいいと思う。だけど、私が変則的な時間に働く必要があることを知っている友人や知り合いだけには理解していただきたいことがある。

 映画やミステリー小説の結末をいきなり人に語りださないのと同じように、サッカーの試合結果を共有するまえには、「試合観た?」の確認を頼む。

 こういう時、こんなことになるなら友達なんて一人もいらないと考えてしまうのが私の人間として未熟なとこなのだろう。未熟なところはそれだけではないのだが。

 ここから気持ちを立て直し、W杯も楽しむことができるのか、このままいじけてしまうのか、自分が社会人として成長できるか否かの岐路に立たされている。

 

付記
ほぼ結果が見えていた試合ではあったが、ゴールまえでの決定機に、「決めろ!」と本気で応援することはできた。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は1月の満月の日、7日の公開予定です>

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又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設