総理大臣視察中の高校を武装勢力が占拠! JKが日本を救う!? 『高校事変』/連載第6回

文芸・カルチャー

公開日:2019/6/12

超ベストセラ―作家が放つ衝撃のアクション巨編!
平成最大のテロ事件を起こし死刑となった男の娘・優莉結衣(ゆうり・ゆい)の通う高校に、総理大臣が訪問。
そこに突如武装勢力が侵入し、総理が人質にとられそうになる。
結衣が化学や銃器の知識を使って武装勢力に対抗するが…。
武装勢力の真の目的、そして事件の裏に潜む驚愕の真実とは…?

『高校事変』(松岡圭祐/KADOKAWA)

 濱林澪は吹奏楽部だったが、きょう放課後の練習はなかった。すぐに帰れるとの意識があったせいか、油断しきっていた。

 ふと気づくと、教室に優莉結衣の姿が見あたらない。澪はあわてて廊下に飛びだし、昇降口で靴を履き替え、校庭へと駆けていった。

 微風に秋の深まりを感じる。陽はもう傾きだしていた。わずかに赤みがかった空に、タワーマンションがくっきりと浮かびあがる。下校のブレザーはそこかしこに見てとれた。ほっそりした後ろ姿が校門をでようとしている。背負ったリュックが幅広に感じられるほどの瘦身。結衣だとわかった。

 澪は全力で駆けていき、結衣に近づいた。「優莉さん」

 結衣が視線を向けてきた。いつもどおり涼しいまなざしが、なにごとかとたずねている。

「あのう」澪は息を弾ませながら歩調をあわせた。「数学の宿題、見せてくれてありがとう」

 淡々とした口調で結衣が応じた。「それをいうために追いかけてきたの?」

「そうだけど、ほかにもほら、返事まちだし」

「なにを?」

「吹奏楽部。入部、考えてくれた?」

「ああ」結衣は気のない態度をしめした。「音楽なんて性にあわない」

「なわけないって。クラリネットもサックスもいけるなんて。だいいち、優莉さんのほうから声をかけてくれたでしょ」

「部活に入りたいといったわけじゃないし」

「でも楽器をさ……」

「二学期の初めなのに、どの楽器かで悩んでるなんて変だから」

 あのときも結衣は同じことをいった。澪が音楽室にひとり居残り、おそらく聴くに堪えないクラリネットの音いろを響かせていると、戸口に結衣が立った。

 アンブシュアが安定してない、結衣は第一声でそう告げてきた。さらに澪の外見に関する批評がつづいた。マウスピースとリードをくわえた顔が醜い。頬に力が入って、三重顎になってる。

 澪はむっとして、吹けるの、と結衣にきいた。結衣の目は、澪のわきに置いてあったサックスに移った。そして彼女はつぶやいた。二学期の初めなのに、どの楽器かで悩んでるなんて変。

 冷静になったいまでは、思いかえすだけでも滑稽に感じる。だが当時は泣きそうになるほど激昂した。澪はずっと不本意な楽器ばかり担当してきた。トランペットやトロンボーンのような花形ではない。濱林は体型からしてチューバが似合ってる、顧問の先生からそういわれ、おおいに傷ついた。可愛い子はクラリネットかサックスを吹いている印象がある。なんとかそちらに転向できないかと、澪はひそかに練習をつづけてきた。

 食ってかかった直後、相手が優莉結衣だと知り、澪はすくみあがった。担任の敷島和美先生からは、仲良くするよういわれていたものの、まだ言葉を交わしてもいなかった。

 結衣は歩み寄ってくると、澪の手からクラリネットを受けとった。しばかれる、澪は恐怖とともにそう思った。

 ところが結衣はクラリネットをかまえ、難なく演奏を始めた。ブラームスのソナタ第一番ヘ短調だった。CDのように美しい調べにきこえた。澪はすぐさま悟った。さっきの結衣のアドバイスに悪気はなかった。顎に皺が寄るようではアンブシュア、すなわち口の形状も不安定に終始する。クラリネットを奏でる結衣の口角は自然にあがり、微笑みに似た表情を保ちつづける。透き通った音いろのためには、それこそが重要にちがいなかった。

 次いで結衣はサックスも吹いてくれた。聴いたことのない、ジャズテイストにあふれたアップテンポの曲だった。よく指が動くと感心させられた。演奏ののち、ジャック・イベールという音楽家の代表作だと教えてくれた。

 結衣はしばらく黙りこんだのち、マウスピース洗ってくる、そういって立ち去りかけた。澪は思わず引き留めた。いいの、洗わなくて。うわずった声でそんなふうに告げた。いえ、あの、変な意味じゃないの。洗わないまま使うとかじゃなくて、自分でやるし、というか、優莉さんに手間かけさせちゃ悪いし。

 どうしてあんなに動揺したのだろう。友達になる機会はいましかない、なぜかそう思った。クラスへの編入以来、結衣の孤独はあきらかだった。彼女のほうから打ち解けたがっている、結衣の控えめな態度のなかには、そんな本心が見え隠れしていた。それが思いすごしにすぎなくとも、澪は自分から距離を詰めたいと感じた。結衣がどんな家庭に生まれ育ったか、そんな身の上などどうでもよくなった。

 校門をでた。住宅地のなかを狭い道路が走っている。区画整理が行き届かず、街並みは雑然としていた。

 武蔵小杉高校といっても、最寄り駅は新丸子になる。むかしは色町だったらしい新丸子には、いたるところに名残とでも呼ぶべきラブホテルが建つ。商店街も古びていて、パチンコ店の前に放置自転車があふれる。再開発されたのは、タワーマンションが密集する地域周辺にかぎられた。中心を少し外れれば、いかにも川崎市という眺めばかりがひろがる。

 生徒らは商店街の賑わいを避け、生活道路も同然の路地を抜けつつ駅に向かう。学校に指導されたルートでもあったが、そもそも新丸子商店街に高校生の需要はない。ジルスチュアートやポールアンドジョーをあつかうコスメ店など見あたらず、タピオカやチーズドッグすら買えない。

 澪は歩きながら結衣に話しかけた。「住吉高校の吹奏楽部に勝てないのはさ、クラリネットやサックスのルックスに差をつけられてるから。あっちは可愛い子がやってるもん。うちにもスター選手が必要だし」

 結衣はうつむいたまま歩いた。「田中とか鈴木とか佐藤とか、ありふれた苗字がよかった。優莉なんて、嫌でも銀座デパート事件が思い浮かぶでしょ」

「そんなことないって。優莉結衣って、かっこいい名前じゃん。苗字と下の名前で、頭韻を踏んでるんだよ。有名人みたい」

「たとえば誰?」

「ええと……。ウッディー・ウッドペッカーとか」

「ああ。USJでおさるのジョージにアトラクションを奪われた」

 澪は噴きだしたが、結衣は真顔だった。たちまち困惑をおぼえる。結衣の言いまわしは変わっていて、いつも冗談のようにきこえるが、案外本気で悩んでいるのかもしれない。

 キシリトールガムのブラックミントをとりだした。銀紙の包装を開けながら、澪は結衣にきいた。「食べる?」

「いい。でもありがとう」

「あれだけの腕があって、楽器やらないのはもったいないって」

「どうしてもっていうなら、楽器のメンテだけやる」

「メンテ? そりゃ部室の工具、誰も満足に使えてないけどさ」

「でしょ。わたし、そういうの得意だから」

「演奏したほうがいいと思うんだけどな」

 前方を小柄な男子生徒が、カバンを四つか五つも抱え、ふらつきながら歩いていた。その行く手には、バンド気どりのような長髪の男子生徒らが四人、ポケットに両手を突っこんでたたずんでいる。

 リーダー格らしきひとり、細面ではあっても顎が張りだした男子生徒が、さもうざそうに呼びかけた。「宮森。とっとと歩け。少しは役に立ったらどうなんだよ、カス」

 宮森と呼ばれた生徒は一年生で、ほかは三年生だった。宮森は必死に歩を速め、四人のもとに追いついた。するとひとりが宮森の尻を蹴った。

 澪は結衣にささやいた。「一年の宮森悟君。いつもあいつらにいじめられてる」

「あの顎は誰?」結衣はきいた。

「三年D組の鴇砥守禹(ときと・しゆう)ってやつ。親がこのへんでラブホ経営してるって。乱暴者で有名だけど、妙に先生たちと仲がいいんだよね。女もいっぱいいて、二股も三股もかけてる。あんなののなにがいいんだか」

<第7回に続く>

優莉結衣(ゆうり・ゆい)は、平成最大のテロ事件を起こし死刑になった男の次女。事件当時、彼女は9歳で犯罪集団と関わりがあった証拠はない。今は武蔵小杉高校の2年生。この学校を総理大臣が訪問することになった。総理がSPとともに校舎を訪れ生徒や教員らとの懇親が始まるが、突如武装勢力が侵入。総理が人質にとられそうになる。別の教室で自習を申し渡されていた結衣は、逃げ惑う総理ら一行と遭遇。次々と襲ってくる武装勢力を化学や銃器のたぐいまれなる知識や機転で次々と撃退していく。一方、高校を占拠した武装勢力は具体的な要求を伝えてこない。真の要求は? そして事件の裏に潜む驚愕の真実とは? 人質になった生徒たちと共に、あなたは日本のすべてを知る!