天涯孤独のハジメは、詐欺師として堕ちてしまうのか。絶対に泣けるダークファンタジー/『黄昏出張所』②

文芸・カルチャー

2019/6/20

もし、人生をリセットできるなら――。不遇の青年・遠野ハジメ。彼の目の前に現れたのは、歴史上の人物の意識を喰い、過去を変えてしまう「蟲」から歴史を守る「蟲番」だった。蟲番からの3つのミッションに成功し、ハジメは報酬をもらえるのか――? 感涙のラストが待つ、ダーク・ファンタジー!

『黄昏出張所』(中村ふみ/KADOKAWA)

(なんだよ……)

 仕事を紹介してくれるというので久しぶりに会ったのだ。向こうが悪事の共犯者を探していたとしても、ハジメも文句が言えた義理ではない。結局お互い利用しようとしただけだった。

 とぼとぼ歩いているうちに、空が青からうっすら赤みを帯びてきた。夕焼けが目に染みる。

 騙される側の人間――確かにそうだった。

「……変わりたい」

 自分で自分が厭だった。

 だから戸惑いながらも圭人の誘いに乗ってしまった。

 気がつくと公園の前にいた。遊んでいた子供たちも帰る時間になったらしく、何人か出てきた。

「おばあちゃん、アイス食べたい」

「はいはい、家に帰ってからね」

 そんな微笑ましい会話が聞こえてきた。

 残暑も終わりつつある九月の夕暮れ。幸せなおうちに帰るのだ。砂場用のおもちゃのバケツを持っている子もいた。繋がれた手と笑顔、その幸せそうな光景がチクリと胸を刺す。ハジメにはそういう記憶が一つもなかった。

「……いいじゃないか。幸せならちょっとくらい損したって」

 犯罪者側の勝手な言い分。わかっていても、ハジメにとってはこの考えがある種の免罪符になっていた。

 三ヶ月前唯一の肉親だった祖母を亡くしてから少しばかり自棄になっている。そのうえ職を失ったのだ。もうどうなってもいいみたいな気持ちがどこかにあった。

(どうする)

 変わるのか、変わらないのか。

 このまま惨めで、莫迦にされて生きていくのか。祖母の葬式もまともにあげられなかった。周りには立派な墓が並んでいるのに小さな先祖の墓はもうぼろぼろだ。せっかく専門学校を出してくれたのに、何も返せなかった。七五まで働かせておいて。

 これじゃ父親と同じだ。あれほど、憎んで軽蔑していた父と。

 公園に公衆電話があった。

 そしてポケットには折りたたまれたターゲット老人の資料がある。さっき圭人に返し忘れたものだ。

(これさえあれば一人でやれる)

 圭人だって結局あのザマだった。きっと自分の方がうまくやれる。圭人とは覚悟が違うのだから。

 ハジメは老人世帯の電話番号が書かれた紙を握りしめると、意を決して公衆電話に向かった。

 仕事のミスを上司から押しつけられ、親の顔が見たいとまで罵られ、サービス残業が一〇〇時間を超えた。労基でも弁護士にでも相談すれば良かったのだろうが、祖母が死んでしまい、ハジメにはもうその気力もなくなっていた。

 一発逆転──どん底まで落ちた人間はもうそこを狙うしかないのか。

(……たとえ犯罪でも)

 圭人のように心配してくれる家族もいないのに、恐れるものなどあるものか。

「えっと……これにするか」

 東北の七八歳のお婆さん。うん、たぶんこのくらいがちょうどいい。あまり年寄り過ぎても今度は耳が遠くて会話にならないうえに、孫もおっさんになっていると圭人も言っていた。

 番号をぽんぽんと押していく。

(自分は詐欺師で悪人で、全然良心なんかない。騙される奴が悪い)

 自らにそう言い聞かせた。これだけ堕ちて今更守るものがあるだろうか。誰に迷惑がかかるものか。

「あ、ばあちゃん。オレだよ、オレ。元気してる?」

 軽すぎず、好感度の高そうないい声が出たと思う。もう引き返せない。

「……誰だい」

「ユタカだよ、声忘れちゃったの」

 しばらく返事がなかった。

 ハジメは名前を間違えたのかと慌てた。読めないような名前も多いから、ふりがなはついている。ユタカだ、ユウでもヒロシでもない。

「……あの子は去年事故で死んだよ」

 絞り出された老女の声は震えていた。ハジメは息を吞む。

「いい子だったんだけどね、本当に」

 その声に無念が滲む。もしかしたら泣いているのかもしれない。

「あんだオレオレの人かい。若いんだべ、こんたごどやめれ。警察には言わねがら、やり直せ……わがったが」

 ハジメは逃げるように受話器を置いた。

(オレは……)

 手が震えていた。自分のしてしまった罪の重さにどうしていいかわからない。名簿が古かったのだろう、よりにもよって──

「最低だ」

 さすがに堪えた。

 ふらふらと歩き、ベンチに腰をおろした。老女の悲しい声が離れない。こんなクズにやり直せと言ってくれた。

 死ねと言われるより優しくされた方がよほど辛かった。いくらでも罵ってほしかった。そうすれば意地の悪いババアだと圭人のように悪態をつけたのに。

 なんか泣けてきた。二十歳の男が公園のベンチでべそをかいていたらやばすぎる。ハジメはぐっと堪えた。

(無理だよ、ばあちゃん……)

 やり直せない。

 再就職しようにも今では保証人もいない。誰にも必要とされたことがない。今のおばあさんの孫の代わりに自分が死ねばよかった。神様とやらがいない証拠だ。

 人気のなくなった公園で三十分ほども落ち込んでいただろうか。空は明るい夕焼けから黄昏に色を変えようとしていた。目の前を黒い猫が通り過ぎる。冷たい目で一度こちらを見て、たぶん空気の一部と認定したのではないか、悠々と去って行く。猫を羨ましいと思うようになったら人間、末期かもしれない。

「……働かなきゃ」

 知らず知らず呟いていた。うつむいていたせいか、軽い目眩がしたような気がしたが、とくに気にも留めなかった。

「お待ちの方、どうぞ」

 男の声がした。

 公園なのだからどんな声が聞こえても不思議ではないが、自分が呼ばれたような気がしてハジメはゆっくりと顔を上げた。

「え……?」

 一瞬何が起きたのか理解できなかった。なにやら屋内にいるではないか。待合室の長椅子のようなところに座っている。木造の古い小さな建物だった。

第3回に続く