偶然出会った親子を殺し、その戸籍を奪った母/『忌まわ昔』“人妻、死にて後に、本(もと)の形となりて旧夫に会ひし語”②

文芸・カルチャー

2019/7/7

 平安の世から令和の今に、遠く忌まわしき話の数々が甦る。「今は昔」で始まり、「となむ語り伝へたるとや」で終わる「今昔物語集」。これを下敷きに、人間に巣くう欲望の闇を実際の事件・出来事を題材に岩井志麻子が語り直す。時代が変わっても人間の愚かさは変わらない――。収録された10篇の中から、壮絶な人生を送った女の話を5回連載で紹介します。

『忌まわ昔』(岩井志麻子/KADOKAWA)

 ──今、ニュースやなんかでちょっと騒がれてる、無戸籍の女。

 あの女、俺は知ってる気がする。いや、知ってる。

 その後の報道でもいわれてたけど、本人が十歳くらい若くサバ読んでた。死体を放って逃げた男と出会ったとき、二十五歳なんかじゃないよ。俺の知ってる女だとしたら、絶対に三十は軽く過ぎてたから。

 本人が強く何歳だといったら、よっぽど無理がなきゃなんとなく信じてしまう。特に相手が、好きな異性なら。

 ていうか、駆け落ちした女は、我が子である小さな男の子を置き去りにしてんだよ。

 それもきっちり報道されてんのに、なんでかすっぽりそこんとこが抜けてる感じ、あれなんなんだよ。純愛物語、真の愛情があった話、好きな人に看取られて幸せだったね、みたいないい話にされちゃって。

 女が浮かばれないんじゃなくて、男の子が浮かばれないだろ。

 あの女の話をするとなると、まずは女の母親から始まる。そこからもう、根無し草だ。

 あの女の母親は戦時中に一家でアジア某国の田舎町に渡っていて、戦争が終わった後で現地の一家に養女に出された。親は日本に逃げ帰り、消息不明だ。

 日本人なんだけど某国の人間として、その女の母親は育った。そういうの、当時はいっぱいいたって。労働力として、現地の男の嫁として。残留した日本人は苦労した。

 その中の一人として現地の男と結婚し、子どもが生まれた頃、そう、その子どもが今回騒がれた女だ。その女の子だけを抱いて、日本に戻った。

 というより、某国を命からがら脱出した。本当は祖国なのに、日本へは不法入国だ。

 今でこそ某国はブイブイいわせる経済大国になったけど、ちょっと前までは庶民はたいてい貧乏、極貧の層も分厚かった。いや、今も女の故郷の農村は貧しい。あまりの寒冷地で昔は米ができなくて、饅頭や餃子やとうもろこしが主食だった。

 その女の母親は敵国でも侵略者でもあった日本人なんだから、某国の言葉で生きてきたといったっていじめられる。

 その女の母親は、結婚した某国人の旦那にもその親にも、虐待に近いことをされたんだって。もちろん、そんな人ばかりじゃない。我が子のように大事に育ててくれる養父母もたくさんいたし、日本人妻を愛する旦那だって多かった。

 日本に戻っても血縁関係にある人達は離散していて、また苦労を強いられた。こういう辛酸を舐めた人達もまた、当時としては珍しくはなかったとしても、あの女と母親はいつでも巡り合わせってのが良くないんだな。

 あの女と母親は、戸籍も頼る親族も家も金も何もなかった、その事実だけが厳然としてあった。ただ、その女の母親はまだ若さはあった。そこそこきれいでもあった。ここ、重要かな。サバイバルには武器がいる。巡り合わせの悪さは、武器で補う。まずは、女であることだ。若くてきれいで女なら、丸腰でも攻撃力は高い。

 母娘は、身分証明が必要ない場所を転々とするうちに日本語も覚えていくんだけど、ある温泉旅館に枕芸者として住み込んでいるとき、似た境遇の女と知りあった。

 もう一人の枕芸者は、やっぱり暴力を振るう旦那から逃げてて、小さな女の子を連れていた。枕芸者によると、

「親兄弟はいたけど、生き別れに死に別れて、親族はもはやいないといっていい。各地を転々としていて、この地にも親しい人はいない」

 とのことだった。

 二組の母と娘は境遇だけでなく、背格好も顔だちも似ていた。年齢はぴったり同じじゃないけど、母娘ともに二、三歳の差。もう、ここんとこでピンと来ただろ。

 そう、可哀想な枕芸者とその娘を殺して、あの女とその母親はなり済ましたんだよ。なり代わったんだよ。戸籍、母娘ともに乗っ取っちゃった。

 海に捨てたか山に埋めたかバラしてゴミとして出したか、とにかく気の毒な枕芸者とその娘はこの世から消えた。いや、別の母と娘として生まれ変わったともいえるか。

 恨みを買わなくたって、悪いことをしなくたって、たまたま悪い奴に出くわしたばっかりにカモにされたり消されたり、ってこともあるんだ。そういう悪い巡り合わせってものは、どうしようもないね。

 怖いことに戸籍の上では、母娘は何事もなく存命している。中身が変わっただけ。

 新しい戸籍と名前を手に入れ、その女と母親はまた別の地に逃げた。娘の方は母親が殺した女の子を名乗らせて小学校、中学校に通わせた。物心つかない頃に行われたことなんで、ここんとこに本人の罪はない。

<第3回に続く>