イケメンと半額シール。そして彼のベランダで見たものは…/『おいしいベランダ。 午前1時のお隣ごはん』⑤

文芸・カルチャー

公開日:2019/7/31

進学を機に一人暮らしを始めた大学生の栗坂まもりは、お隣住まいのスーツの似合うイケメンデザイナー亜潟葉二に憧れていた。
ある時ひょんな事からまもりは葉二に危機を救ってもらうのだが、それは憧れとはほど遠い、彼の真の姿を知る始まりで……!?
ベランダ菜園男子&野菜クッキングで繋がる、園芸ライフラブストーリー。

『おいしいベランダ。 午前1時のお隣ごはん』(竹岡葉月:著、おかざきおか:イラスト/KADOKAWA)

 寝室から出てきた亜潟葉二は、黒いジャージの上下に、太い黒縁のセルフレーム眼鏡という出で立ちだった。

 そりゃあ眼鏡が似合うだろうと思ったことはある。しかしあれはカルバン・クラインのコレクションラインに、銀縁細めのチタンフレームであって、こんな三本ラインジャージにゴンぶと黒縁ではない。

 スーツの時は絶妙なお洒落パーマだった髪型も、現状では『寝癖』の二文字がしっくり

くる。

「……なに? 俺の顔に何かついてる?」

「いえ……ふ、普段はコンタクトなんですねと……」

「そう。めちゃくちゃ度がきついから、一日はつけてられないんだわ。外すと生き返るってか、肩こるしな」

「肩が……」

「さてじゃあ、飯だ。ちゃっちゃと作るぞ」

 気がつけば、格段にくだけた言葉を使うようになった亜潟葉二は、カウンターキッチンへ向かった。まもりは、あわててその後を追いかけた。

 彼は冷蔵庫のドアを開け、中段に置いてあった、刺身のパックを素早く確認する。

「飯は多めに炊いてあるから良しとして……刺身が一人前なのが問題だな。野菜増やして丼にするか」

 まもりの見間違えでなかったら、その刺身のパックには、『半額』の値札が貼られていたような気がする。

 亜潟さんと半額。

 スペースシャトルとタンポポぐらい、かけ離れた言葉だと思っていた。

「――なあ、おい。栗坂……若い方。ちょっとベランダ出て、適当に野菜摘んできてくれないか。蕪とか葉物がそろそろ行けるはずだから」

「へ?」

「はいザル。あと夜だからヘッドライト」

 ぽんぽん、とテンポ良く金属ザルと、引き出しから取り出したライトをセットにして手渡された。

 まもりはザルを持ったまま立ち尽くす。

 思わず中を、二度見した。

 黒いナイロン製のバンドと、その先に手のひらサイズのライトがついている。

 ヘッドというからには、これを頭に装着しろというのだろうか。たぶん、『工事現場』とか『洞窟探検』とか、そういう場所で使用されるもののような気がする。

 なぜこれを、キッチンザルに入れて渡されないといけないのだろう。額から発光する自分を想像するが、用途が全く分からない。

 亜潟葉二は、ベランダに出ろと言っていた。その後何をしろと言っていた?

「なんで……懐中電灯では、ダメなんでしょう……」

「両手ふさがってたら、作業の邪魔だろう。なんだ、もしかして着け方がわからないのか? 栗坂鈍くさい方」

「――――っ」

 無造作に引き寄せられ、その手で頭を触られた。

 髪が髪が髪が。手が手が手が。こちらがそう意識せずとも、スイッチを押されたように顔がカッと熱くなるが、そうしてできあがったのは、ヘッドライトを頭につけた栗坂まもりである。

 ライト本体のつまみを切り替えると、光ったり消えたりする。

「はー……」

「ぼさっとしてないで。行くぞベランダ」

 背中を乱暴に叩かれる。

 いくらなんでも、強引すぎないだろうか。

 文句の一つも言いたいところだが、葉二は一人でベランダの扉を開けている。

 表は真っ暗だった。

 しかし、葉二に着けてもらったヘッドライトが、辺りを照らし出す。

 そこに浮かび上がったのは、ベランダ一面の緑だ。

 柵や窓辺に整然と並ぶ、大小様々な鉢やプランターに、沢山の植物が植えてあった。

「……すごい……いっぱい……」

「まずは蕪から行くか。こっちのプランターだ」

「蕪……って、え、あの蕪? 『おおきなかぶ』の蕪?」

「小蕪だから、そんなにでかくはないけどな。ほら」

 葉二がプランターの前で中腰になり、濃い緑の葉を茂らせた茎の根元を持って、引き抜いてしまう。

 あっと言う間もなかった。しかもその株の根元には、ピンポン球よりやや大きな、白い白い――あの野菜の蕪が、土と一緒についているのである。

 ちっちゃくて、でもちゃんとまもりの知っている蕪の形をしていて。

「……かわいい」

 思わず漏らした感想に、噴き出す気配がした。

「いま、笑いました?」

「いや。あと三個な」

 あえてコメントを避け、ザルを持ったまもりに蕪を預ける。なるほど意地悪だ。

「いいんですか。わたしがやっちゃっても」

「いちいち聞くな。そのために来たんだろうが。別に食われやしないから、ちゃっちゃとやれ。ちゃっちゃと。朝になるぞ」

 倍返しで罵られるまま、小蕪さんの収穫とやらに挑戦してみる。

 頭のライトでよくよく見てみると、土の中にすっぽり埋もれていると思った白い多肉根部分は、半分以上土の上に出ていた。

 これなら絵本のように、引き抜きに苦労するということもなさそうだ。

 それでも細かな根が、土の隅々に行き渡っていたようで、茎の根元を持って引き抜く時に、『ぶちぶち』と音がして怖かった。

 三つ引き抜いて、プランターの蕪は残り三つとなった。

「ぬ、抜けました!」

「ほい、こっちが人参」

 あわせて葉二が、無造作に新しい野菜をザルに入れた。

 こちらは細かな葉がついた、オレンジ色の人参のようだ。しかし、食べるところが十センチもない。

「こんな小さなの抜いちゃっていいんですか……!」

「ミニキャロット。こういう品種なんだよ」

「はー……」

「まだちょっと早いやつもあるけどな。こいつはこれから、一ヶ月が食い時だ」

 ザルを覗いて、もはやため息しか出ない。

「で、次がベビーリーフだ」

「ちょっ、ちょっと待ってください亜潟さん」

 まもりは思わず、葉二のジャージの袖をつかんだ。あ、土さわった手だと気づいたのは、つかんでしまった後だった。

「なに」

「もしかしてここにある鉢、みんな野菜……だったりしますか」

 この闇夜でもわかる、わさわさした緑のもの全部。

 彼はあっさり認めた。

「ああ。俺、食えるものしか育てる気ないから」

 そんなあなた、俺はフリーしか泳がないみたいな言い方を。

 葉二はその後もプランターに生える色とりどりの若葉などを、無造作にかき取っていき、気づけばまもりのザルは、野菜でいっぱいになっていた。

「こんなものかな。そろそろ戻るぞ」

 彼に言われるまま、今度は明るい部屋の中に、戻ってくる。

「栗坂鈍くさい方。採った野菜、シンクで洗っておいてくれるか」

「へ?」

「野菜! そこで洗う!」

「りょ、了解であります」

「あと、もうヘッドライト外していいから」

 キッチンの流しの中に、ザルを置く。パーカーの袖をまくる。

 最後にまもりは赤面しながら、ライトのスイッチをオフにして、バンドを外した。

 たぶん乱れたはずの御髪も、手ぐしでおさえてみる。気やすめかもしれないけれど。

 まもりはあらためて小蕪やミニキャロット、ベビーリーフなどを、流水の中で洗い、細かな泥を落としていった。

(これは……なかなかの難物……)

 スーパーの中のぴかぴか野菜と違い、収穫した葉の根元や隙間にまで泥が入り込んでいるし、根っこの髭にも土がこびりついている。これは適当に洗っていてはダメそうだ。

「洗えたか?」

「こんなんでいかがでしょう」

「まあいいだろ。蕪と人参、こっちにくれ。ベビーリーフは、よく水切りする。でかすぎるのは、食べやすいように千切って」

「千切るんですね。なんか色んな形の葉っぱがあって、面白いですね……」

「ベビーリーフって名前の野菜はないからな。水菜、ほうれんそう、ルッコラとかリーフレタスなんかの若い葉を使ってれば、ベビーリーフだ」

 なんと。スーパーで売ってるベビーリーフの袋には、そんな秘密が。

 まもりが感心する横で、葉二は包丁を取り出し、蕪と人参の葉と根を切り分けた。さらに蕪は二つに切る。

 ガスレンジでは、小ぶりの鍋が二つ、火にかけられていた。

 葉二は吊り戸棚を開ける。まもりでは踏み台必須の最上段から、背伸びもしないで物を取り出すのが凄かった。

 そしてその出したものを見て、まもりは「あっ」と呟いた。

「その籠、知ってる……中華屋さんにあるの」

「蒸籠だな」

 肉まんを蒸したりするのに使う奴だ。

 葉二はその蒸籠に、たったいま切り分けた蕪と人参を放り込んで蓋をし、湯気のあがる鍋にセットした。

「皮、むかなくていいんですか?」

「皮のすぐ下にうま味があるって話だけどな……単純にむくのが面倒ってのが一番」

「……あ、そう」

「いいだろ、洗ったんだし。農薬もなんも使ってないのは、保証するぞ」

 無農薬が、ずぼらを助けるとは知らなかった。

「で、このまま火が通るのを待つとして、次は汁物だな」

 葉二は蒸籠の横の小鍋にだしの素を入れると、残っていた蕪の葉を刻み、鍋に放り込んだ。

 さらには冷蔵庫に入っていた油揚げを一枚取り出し、魚焼きグリルで軽く焦げ目をつけると、同じように刻んで鍋に入れてしまう。

「あとは味噌を溶いて……こんなもんか。蕪の葉と油揚げの味噌汁の、できあがり」

 お玉で味噌の塩気を確かめて、葉二はうなずいた。

「このベビーリーフたちはどうするんですか?」

「それは丼に使う」

 丼?

 葉二は味噌汁に引き続いて、食器棚から、深めのカレー皿を二つ取り出した。

 炊きあがっていた炊飯器を開け、皿に湯気のたつご飯を盛る。さらにその上に、水を切ったベビーリーフをのせていった。

「で、ここに具の刺身を投入する、と……」

「あ、なるほど」

 真打ち、半額刺身パックの登場だ。

 一パックだけの、お刺身の盛り合わせ。しかし、こんもりとした新鮮ベビーリーフで彩られた大皿の上に盛り直すと、カフェか居酒屋の海鮮サラダのようで見栄えがする。

「あとは、最後の仕上げだな」

「仕上げ」

「そう。完璧気休めだけど」

 葉二は最後に残ったミニキャロットの葉を、少しだけ包丁で切り取ると、刺身の上にそっとのせた。

「海鮮サラダ丼、完成」

 すごい。葉っぱ一枚でグレードアップだ。

「悪かないだろ」

「なんかちょっと、ラストで料亭感出ましたね……」

「出たか。木の芽もどき。雰囲気だけな」

 それでも、あるとないとでは、大違いだ。ちょっと感動してしまった。

 葉二は残った葉の水気を、ペーパーで丁寧に拭き取ると、ジップ付きの袋に入れて、冷凍庫に放り込んでしまう。

「あれ、もう凍らせちゃうんですか?」

 あんなに新鮮なのにもったいないと思ったが、葉二いわく、それでいいらしい。

「残りはパセリ代わりに、パスタやスープなんかに散らすんだ」

「パセリですか」

「苦みの少ない、イタリアンパセリって感じだな。凍らせるとパリパリに砕けて、生より使いやすいぞ。こいつ見つけてから、乾燥パセリの瓶も買わなくなったぐらいだ」

「はー……」

 木の芽になったりパセリになったり、忙しい奴だな、ニンジン葉。

 店ではまず切られてしまう葉の所に、そんな才能があるとは知らなかった。

 しかし気づけば台所の野菜たちは、皮から葉にいたるまで、捨てるところなく調理されてしまったことになる。

 三品作ったところで、ゴミが刺身パックのプラスチックしか出ていないのは、素直にびっくりだった。

「栗坂ちっこい方。丼の方、テーブルに出してくれ」

「あ、はい!」

「俺は味噌汁をよそう」

 もはや人使いの荒さを、ぼやく気にもなれなかった。冷める前に、早く食べたい。

 カウンターの向こうのダイニングテーブルに、作った料理を持っていく。

 海鮮サラダ丼、蕪の葉と油揚げの味噌汁と来て、最後は蒸籠で蒸し上がった蕪とミニキャロットが、蒸籠ごとテーブルにやってきた。

 まもりの前で蓋が開けられると、ふんわりと蒸気が上がる。

 中ではやわらかいミルク色と、キャロットオレンジの野菜たちが、つやつや光って蒸されていた。

「蕪と人参の温野菜サラダ、と」

 どうしよう。ごちそうだ。我々はごちそうにありつこうとしている。

「レンチンより手間かかるけど、うまいんだよな、蒸籠。あと無駄にゴージャス感が出るというか」

「無駄じゃないですよ」

 だってこんなにおいしそう。

 まもりが並ぶ料理から目を離せずにいたら、葉二の大きな手が、後ろから頭に載った。

「おし。それじゃ、冷める前に食うぞ」

続きは本書でお楽しみください。

著者プロフィール:竹岡葉月
1999年度ノベル大賞佳作受賞を経てコバルト文庫よりデビュー。以降、少女小説、ライトノベル、漫画原作など多方面で活躍