あやしい客と対面…そして悲劇が起こる/ 松岡圭祐『高校事変 II』④

文芸・カルチャー

2019/9/10

超ベストセラー作家が放つバイオレンス文学シリーズ第2弾! 新たな場所で高校生活を送るダークヒロイン・優莉結衣が日本社会の「闇」と再び対峙する…!

『高校事変 II』(松岡圭祐/KADOKAWA)

4

 日没後の鶯谷駅前、言問通りの路肩に、高級車が連なっている。吉原のソープランドを予約した客の送迎車だときいた。禿げ頭の中年男が運転手と笑いあいながら、後部座席に乗りこむ。奈々未は黙って目を伏せた。

 サトシの運転するSUV車は、妖しげなネオンのきらめく街角へと乗りいれていった。狭い路地には、車両を左右に寄せるほどの道幅もない。サトシは真んなかに停車させた。夜といえど時間が早く、往来するのはカップルばかりではなかった。会社員らしきスーツや、本物の高校生も見かける。奈々未はドアを開け、そそくさと外に降り立った。人目など気にしてはいられない。

 城山の声が飛んだ。「コインパーキングに停めてくる。へまをするなよ」

 奈々未は頭をさげた。SUV車が走り去るのを、黙って見送る。軽く咳きこみながら、ピンクいろの看板に近づいた。エントランスの自動ドアを入る。

 暖房が効いているのはありがたい。ここは初めてだが、ラブホのつくりはどこも似たり寄ったりだった。壁面のパネルに部屋を選択できるボタンが並ぶ。その先にあるフロントに、405号室へ行きます、そう声をかけた。エレベーターに乗ってから、ダウンジャケットを脱ぐ。セーラー服姿の自分が、汚れた鏡にうっすら映りこんでいた。

 たかがエレベーターの上昇にも、乗り物酔いに等しい気分の悪さが生じる。緊張のせいか、いっそう具合がよくない。またも吐き気をもよおしそうになった。深呼吸して不快感をまぎらわす。

 震える手でICレコーダーをとりだした。録音ボタンを押したものの、どこにしまおうか迷った。セーラー服の胸ポケットは飾りも同然で、なかにおさめると形状が浮かびあがってしまう。スカートのポケットに押しこむしかなかった。

 エレベーターの扉が開いた。ほの暗い廊下にひとけはない。405号室のドアをさがし歩く。

 角を曲がったとたん、奈々未は立ちすくんだ。ドアにもたれかかり、脚を投げだして座る男がいた。長髪に細面。痩身をチェックのシャツとデニムに包んでいる。年齢は三十代か。美容師に見かけるタイプに思えたものの、よく見ればお洒落に気を遣ってはいない。薄明かりの下で判然としないが、着崩しているのではなく、本当にずぼらのようだった。髪もただ伸び放題にしている。

 男のとろんとした目が見上げてきた。ぼそぼそとたずねる。「ナナミさん?」

 奈々未は男の背にしたドアを眺めた。405とある。当惑とともに奈々未はうなずいた。「タカダさんですか」

「よかった」タカダは腰を浮かせると、軽い口調でいった。「この部屋、狭いうえに、壁紙の趣味が悪くてね。ほかのフロアで部屋をとり直したから、そっちへ行こう」

 ドアの上に赤いランプが点灯している。入室ずみのサインだった。どういう状況なのかよく理解できない。奈々未は戸惑いとともにスマホを手にした。「部屋を移るなら、店に連絡しないと」

 ふいにタカダは奈々未のスマホをひったくった。廊下を足ばやに歩きだす。「いいから。連絡なんて部屋に着いてからでいい」

 あわてて追いかけながら、奈々未はふと城山の言葉を思いだした。スマホは黙って渡せ、城山はそういった。顔認証機能でロックが解除された直後だけに、タカダはメニュー画面を開けるだろう。設定も確認できる。現にタカダはいま廊下を歩きつつ、奈々未のスマホをいじっていた。次に会うまでに、位置情報機能をオフにするよう求めてくる、店長らの推測どおりならそうなる。ICレコーダーの内蔵マイクが声を拾えるよう、タカダの近くにいなければならない。

 タカダはエレベーターに向かわず、そのわきの非常階段を下りだした。奈々未の困惑は深まったものの、スマホを渡したまま離れられない。タカダのあとにつづいた。

 三階の廊下を、タカダはひたすら突き進んでいく。何度か角を折れた先、313号室のドアの上に、赤いランプが点滅していた。一階で部屋の選択ボタンを押したのち、入室するまではこうなる。タカダがそのドアを開け、なかに消えていこうとする。奈々未は急いで足を踏みいれた。

 室内はわりと広めで、ダブルベッドのほかにソファとテーブルが据えてあった。窓がないのはラブホなら当然のことだ。床には旅行用トランクが投げだされている。浴室のガラス戸も見えていた。

 後ろ手にドアが閉まった。タカダは施錠すると、悠然とした足どりで奈々未の前にまわりこんだ。スマホの画面をしめしながら、タカダが声高に告げてきた。「このライン、おまえと経営者のやりとりだよな。きょうひさしぶりに声がかかったんだろ。半月前には体調不良で休むといってる。人気の子がきいてあきれる」

「すみません。あの」奈々未のなかで焦燥が募りだした。「スマホ、かえしてもらえませんか」

 タカダの目が鋭く光った。手にしたスマホを部屋の隅に放りだした。

 奈々未は面食らった。とりに向かおうとすると、タカダが行く手を阻んだ。近くに立ったとき、かなりの背の高さだとわかった。

「はい終わり」タカダが見下ろした。「位置情報を発信してようが、多少の誤差はある。建物のどの部屋にいるのかまでは、絶対にわかりゃしない」

 背筋に悪寒が走った。奈々未はタカダのわきをすり抜けようとした。「スマホを……」

 するとタカダがいきなり奈々未の頭髪をわしづかみにした。

 垂直方向に持ちあげられる。激痛が襲い、身体が浮きあがるのを感じた。奈々未はテーブルに投げつけられた。ガラスが割れ、無数の破片が目の前に飛散する。硬い床に全身を強打した。

 タカダが奈々未の胸倉をつかみ、力ずくで引き立たせた。奈々未は身じろぎひとつできなかった。意識が朦朧としつつある。

 そのときタカダが声を発した。「おい。なんだこれ」

 床におちていた物体をタカダが拾った。ICレコーダーだった。奈々未のなかに動揺がひろがった。「それは……」

 血走った目が睨みつけてきた。タカダはICレコーダーを奈々未の口に突っこんだ。気道をふさがんばかりに、奥までねじこんでくる。奈々未は呼吸ができず、息苦しくなってむせた。

 タカダが昂ぶったように甲高い声を響かせた。「録音してたんだな。そうだよな。なら、なにか喋れよ。喋ってみせろ」

 喉をふさがれるうち、嘔吐反応が誘発された。胃液が逆流してきて、奈々未の口から滲みだした。タカダのさも愉快そうな笑い声が響いた。

 ICレコーダーが引き抜かれたとたん、奈々未は激しく吐いた。

「きたねえ!」タカダは笑いながら奈々未を突き飛ばした。

 奈々未は仰向けに倒れた。タカダが両手でICレコーダーをへし折るのを目にした。

 歩み寄ってくるタカダに、奈々未は尻餅をついたまま後ずさるしかなかった。視界が涙に揺らぎだした。

「ごめんなさい」奈々未は泣きながらうったえた。「もうしません。だから、どうか帰らせてください」

「そりゃ無理」タカダは鼻息荒くいった。「最初から帰すつもりなんかなかったしな」

 タカダはテレビのリモコンを操作した。スポーツ中継の音声が大音量で鳴り響いた。隣りに声をきかれないようにするためかもしれない。覆いかぶさってきたタカダが、奈々未のセーラー服を引き裂きにかかった。奈々未が抵抗をしめすと、タカダは拳で殴りつけてきた。激痛とともに耳鳴りがした。奈々未は意識が遠のくのを感じた。

 我にかえったとき、奈々未は裸にされたうえ、後ろ手に縛られていた。タカダは奈々未の首をつかみあげると、腹部に膝蹴りを浴びせてきた。息が詰まり、直後に胃の内容物が床一面に撒き散らされた。奈々未は激しく咳きこんだ。

 タカダは奈々未の身体を両手で持ちあげ、床に投げおとした。鮮血が噴きあがるのを、奈々未はまのあたりにした。自分の鼻血だとわかった。なおもタカダは執拗に奈々未の腹を蹴りこんだ。部屋が大きく揺れているように感じる。平衡感覚を喪失しつつあった。全身に痺れがひろがり、もはや痛みすら感じない。

 ぼやけた視野のなか、床におちたスマホに気づいた。自分のスマホだった。奈々未は必死に這っていった。手を伸ばそうにも、縛られていて無理だった。涙と鼻血、胃液をしたたらせながらも、かまってはいられない。スマホとの距離を縮めようと躍起になった。

 だがあとわずかに迫ったとき、スマホはタカダの手に拾われてしまった。

 タカダはスマホをかざしながら、冷ややかな目を向けてきた。「そんなにこれがほしいか。なら肌身離さず持っとけよ」

 固く握りしめたスマホが振り下ろされる。タカダはスマホの角で奈々未の頬を殴った。何度も繰りかえし打ち下ろしてくる。顔認証が機能したらしい、画像が切り替わったのが見てとれた。奈々未が理恵と撮ったツーショットが映っている。その画面も血飛沫に染まった。こめかみを強打されたとき、新たな激痛に頭が割れそうになった。保とうとしてきた意識が、また急速に薄れていくのがわかる。直後、視界は暗転した。

第5回に続く