「なにか起こせば特殊な施設行き」優莉結衣は公安から脅されていたが、ついに…/ 松岡圭祐『高校事変Ⅲ』④

文芸・カルチャー

2019/11/15

超ベストセラー作家が放つバイオレンス文学シリーズ第3弾! 前代未聞のダークヒロイン・優莉結衣が、シリーズ最強の敵、戦闘能力の高い元・軍人たちを相手に大活躍する…!?

『高校事変III』(松岡圭祐/KADOKAWA)

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 葛飾区の税収はそれなりに高いはずが、インフラ設備のほうはいっこうに改善しない。つい先日も、老舗繊維工場のセンイー葛飾が潰れた、そう報じられたばかりだ。区内の景気は当面のあいだ冷えこむ一方かもしれない。

 柴又駅周辺には、小ぶりな家屋が密集し、狭い路地がやたら入り組んでいる。駅から徒歩十五分、児童養護施設〝きずな〟はあった。

 外観は古びた二階建ての民家でしかない。今年四十五歳になる施設長、猪原武志は眼鏡を外し、ハンカチでレンズを拭いた。外出の予定もないのに、ジャケットとネクタイを身につけるのはひさしぶりだ。きちんとした服装は接客のため必要だったが、暖房が効きすぎているせいか、額に汗が滲んでくる。

 猪原はふたたび眼鏡をかけた。ぼやけていた視野が鮮明になる。いつもどおりリビング兼ダイニングルームは雑然とし、四方の壁に生活用品が堆く積んである。その谷間に据えた食卓用テーブルで、猪原は来客ふたりと向きあい座っていた。

 下校が遅い。学校に確認の電話をいれるべきだろうか。猪原がそう思ったとき、玄関のドアが開いた。

 葛飾東高校のブレザーとスカート姿、華奢な身体つきの十七歳だった。長く伸ばした黒髪に縁どられた色白の小顔には、つぶらな瞳とすっきり通った鼻筋、薄い唇が適切に配置されている。細い下顎は、首に巻いたエンジいろのマフラーに埋もれていた。

 来客のふたりが立ちあがった。猪原もそれに倣った。

「おかえり」猪原は靴脱ぎ場の優莉結衣にいった。「こちらは……」

 結衣は来客を一瞥した。淡々とした口調でつぶやいた。「精神科医の角間良治先生。塚越学園の学園長でもあられる」

 角間は愛想よく微笑した。「知っていてくれたとは嬉しい」

「公安がいつも脅すから。なにか起こせば角間先生の特殊な施設行きだって」

「特殊な施設か。みんなそんなふうにいうね。れっきとした学校法人なんだが」角間はもうひとりの来客を紹介した。「NPO法人〝健康育児連絡会〟の倉橋重久理事だ」

 倉橋が頭をさげた。「よろしく」

 靴を脱いでから、結衣も軽くおじぎをかえした。笑みひとつない仏頂面のままだった。マフラーをとり、リビングにあがってくると、猪原にたずねる目を向ける。

 クールなまなざしも、モデル並みのルックスも、魅力的にはちがいない。学校の成績もよかった。世間の偏見に打ちのめされず、道を踏み外すことなく精進すれば、将来の展望は充分にあるといえる。だからこそ期待を寄せていた。施設や学校を転々とする生活に終止符を打ち、ここから社会に巣立ってほしかった。

 テーブルに置いてあったディスクをとりあげる。DVDデッキに向かいながら、猪原は結衣にいった。「座ってくれないか」

 結衣が黙ってリュックを下ろし、椅子に腰かけた。角間らと目を合わせることなく、静かにうつむく。

 猪原はテレビを点けた。ふだんチャンネルはNHKに合わせてある。ナレーションが流れた。「開発途上国における医療発展の課題のひとつに、高圧酸素室の自動制御システムがあり……」

 ディスクをデッキに挿入した。リモコンの再生ボタンを押す。NHKの映像と音声が消え、ディスクの録画内容が映しだされた。

 手ブレはいっさいなかった。カメラが固定されているのはあきらかだった。スマホによる撮影らしい。設置場所は腰ぐらいの高さのようだ。部室とおぼしきロッカールームをとらえている。三人の男子生徒が夏服で、スマホを据えたのち、そろって戸口へと遠ざかっていった。ふざけあい談笑している。会話はきこえない。音声自体が未収録だった。

 ところが三人の退室寸前、女子生徒が入ってきた。制服はいまと異なるが、一見して優莉結衣とわかる。険しい表情で立ち、三人になにか喋った。

 男子生徒のうちひとりが、結衣に詰め寄っていく。いかにも悪ぶった足どりで、肩を怒らせて歩いていた。

 先に手をだしたのは男子生徒だった。しかし結衣はその腕をねじりあげ、スカートを翻しながら、すばやく側面にまわった。

 そこまでなら正当防衛ですんだ。ところがそうはならなかった。結衣は手刀を振りあげ、男子生徒の脇腹をしたたかに打った。

 猪原は武術に詳しくなかったが、結衣の動きは敏捷で、よく訓練されているように目に映った。まるで格闘技の試合中継のようだ。残るふたりの男子生徒が、憤りをあらわに結衣に襲いかかった。結衣はひとりを肘で打ち倒し、軽く跳躍した。空中で片脚を高々とあげ、もうひとりの顔面に蹴りを浴びせた。

 転倒した三人は、あたふたと床を這いまわり、たちまち部屋の隅に追い詰められた。いずれの顔も鼻血にまみれていた。結衣が悠然と歩み寄り、三人を見下ろし、またなにかを告げた。三人はひどく怯えたようすですくみあがった。

 動画がフリーズした。映像の記録はそこまでだった。結衣の冷やかな目が男子生徒らに投げかけられている。

 猪原は自分の席に戻った。結衣は無言のまま座り、ただ画面を眺めていた。

 静寂のなか、猪原は結衣にきいた。「見慣れない制服だが、そんなにむかしのできごとじゃないな? 二年生になってからか?」

 結衣は小声で応じた。「はい」

 思わずため息が漏れる。猪原はいった。「葛飾東高校に転校してくる前は、武蔵小杉高校。その前が宇都宮にある栃木県立泉が丘高校だったな」

「はい」

「優莉さん。泉が丘高校で男子生徒三人が負傷し、きみが関与を疑われたのは知ってる。でも目撃者もおらず、三人もきみに会ったことがないといった。だから転校を余儀なくされたのも、謂われのない非難を受けたせいでしかない、支援者たちはそう信じた」

 倉橋がなだめるように告げてきた。「猪原さん。いまは……」

「いえ。いわせてください」猪原は努めて冷静な物言いを心がけた。「いいか、優莉さん。武蔵小杉高校では、事変と呼ばれるほどの大騒動が起きた。あれもきみとは無縁のできごとだったと、校内にいた誰もが証言した。支援団体はきみの受けいれ先をさがし、うちを訪ねてきた。弁護士の先生が私にいった。優莉さんは出生のせいで、根拠もなく犯罪と関わりがあるように思われてる。潔白を保証するから、優莉さんの人格権を尊重し、協力してもらえないだろうかと。私はきみを信じ、ここに迎えた」

 結衣は顔をあげることなく、ぼそりと応じた。「感謝してます」

「先月、嘉島奈々未さんをめぐる事件が起きたときには、さすがに戸惑うしかなかった。またも大勢の死者がでたからな。刑事さんたちはきみを疑ったようだが、やはりなんの証拠もないという話だった。私は彼らに反論した。きみは無実だと主張しつづけた。でもきょうになり、この映像を見せられた。ショックだったとしかいいようがない。きみは暴力を振るったりしないと信じてたから」

 テレビにはまだ結衣の静止画が映しだされている。結衣は画面を一瞥した。「このせいで、角間先生の矯正施設行きですか」

 あきらめに似た口調のなかに、不満げな響きがこもっている。撮影されていたとは知らなかったにちがいない。

 角間が穏やかにいった。「優莉さん。うちの職員が泉が丘高校へ行き、事情をたずねてまわったが、証言は前と変わらなかった。当事者の三人さえ、きみはなにもしていないというんだ。彼らは乱暴者だったんだな。三人ともこれ以前に、一年生にカツアゲを働いたり、女子生徒に対し暴行まがいの行為におよんだりしていた。私が思うに、きみは義憤に駆られ、こういう行動にでたのだと思うが」

 返事はなかった。結衣はまたテーブルに視線をおとした。「誰が撮ったんですか」

 倉橋が身を乗りだした。「それはわからない。匿名で健康育児連絡会にディスクが送られてきたんだ。わかってると思うが、警察に通報しないわけにはいかなかった。宇都宮東署と葛飾署は捜査担当者をきめ、映像を検証にかかった。その後は……」

 結衣はいった。「逮捕して勾留。家裁送致」

 さっさと通報しろといっているようにきこえる。本心でないのはあきらかだった。映像で腕っぷしの強さを確認できようと、目の前に身を小さくして座る少女は、たしかにいま不安を募らせている。無責任に追放できるはずもなかった。

 猪原は結衣を見つめた。「誤解しないでほしいが、私はいまでも武蔵小杉高校では、きみがなにもしていなかったと信じる。嘉島奈々未さんのことについてもだ。問題はこの映像だけだよ。暴力はないという説明だったが、事実として暴力はあった。そこに困惑してるんだ」

 甘すぎるだろうか。けれども児童養護施設を始めたときから、根拠もなく少年少女を疑うまい、そう心にきめていた。

 いかに喧嘩に強かろうと、校舎を占拠した武装勢力を一掃したり、指定暴力団を全滅させたりするなど、まったくもって不可能な話だった。優莉結衣の亡き父親の元仲間たちが暗躍し、彼女に手を貸している、そんな噂もささやかれている。しかし公安警察によれば、生存する関係者はみな監視対象であり、誰ひとり結衣と交友関係がないと確認ずみだという。結衣は天涯孤独の身になっていた。

 無口でおとなしいふりをしながら、じつは世間が危惧するとおり父親の後継者、そんな真相は願いさげだった。いや断じて受けいれられない。ありえない。

第5回に続く