「殺したんです。生きるためです」施設への見学の道中に異変が…/ 松岡圭祐『高校事変Ⅲ』⑧

文芸・カルチャー

2019/11/19

超ベストセラー作家が放つバイオレンス文学シリーズ第3弾! 前代未聞のダークヒロイン・優莉結衣が、シリーズ最強の敵、戦闘能力の高い元・軍人たちを相手に大活躍する…!?

『高校事変III』(松岡圭祐/KADOKAWA)

 角間が妙な顔になり、カバンからタブレット端末をとりだした。画面にタッチすると、名簿一覧が表示された。「中学部か。入学候補者は全員、私が直接訪問することになってるんだが」

 助手席の倉橋が振りかえった。「健康育児連絡会のほうでも、そんな話はきいてません。どこの推薦だろうと、うちを通すはずですが」

 タブレット端末の画面に指を滑らせながら、角間がつぶやいた。「優莉。優莉……。ないな」

 結衣も画面をのぞきこんだ。中学部名簿、ヤ行の欄は、山本の次が横井になっていた。優莉凜香の名は見あたらない。

 当惑をおぼえる。妹の動向を知りたくて見学にでかけたのに、学園長も橋渡し役も関知していないようだ。

 ふいに倉橋が声を発した。「おや。なんでここに入るんですか」

 クルマはいつしか公道を外れ、工場らしき敷地へと乗りいれていく。照明は消灯し、辺り一帯は真っ暗だった。看板だけはなんとか視認できる。センイー葛飾とあった。

 但枡がステアリングを切りながら、快活な声で応じた。「すみません。ほんとはいけないんですが、ここを抜ければ柴又街道なんで」

 不穏な空気を察した。センイー葛飾は倒産したと報じられた。朝っぱらから門が開放されているとは変だ。ハイヤーのドライバーが堂々と抜け道に選ぶのも理解できない。

 結衣はシートベルトのストッパーボタンに親指を這わせた。音を立てないように、そっと押しこんでシートベルトを外す。まずは行動の自由を確保する。幼少期から叩きこまれた、生き延びるための知恵のひとつだった。暴力の気配への対処は、事故への警戒に優先する。

 ドライバーはシート位置を前方に設定していた。本来はシート下に隠れる床面に、結衣は靴の踵を這わせた。フェルトの継ぎ目を強くこすると、剥がれてめくれあがり、OBD2ポートが露出した。SRSコンピューターに故障診断ツールを接続するためのジャックだった。位置は車種により異なる。クルマ泥棒には必須の知識だと父がいっていた。結衣も運転はできないが、この操作方法は知っている。あらゆるドングルを収集しているのは、こういうときのためだった。リュックのなかのケースをまさぐり、該当するドングルをつかみとる。

 クルマは敷地の真んなかで、ゆっくりと停車した。辺りにはなにもない。ヘッドライトが消灯した。インパネに表示されたガソリン残量が満タンなのを、結衣は見てとった。もし但枡がガス欠をうったえたら、ただちに嘘だとわかる。

 角間がタブレット端末から顔をあげた。不審げに窓の外を眺める。「どうして停まった?」

 結衣は正面を凝視していた。アメ車セダンのフロントウィンドウは角度的にかなり寝ている。そのためインパネのLEDに照らされたドライバーの膝あたりが、うっすら映りこんでいた。右手が不自然に動いている。握りこまれた物体は黒いせいか、形状が判然としない。だが人差し指がトリガーにかかっているとわかった。

 飛びだしても間に合わない。結衣はとっさに角間に覆いかぶさった。角間が驚きの反応をしめした。ストッパーボタンを押しこみ、角間のシートベルトを外すや、襟首をつかんで助手席の背後へとひきずりこむ。結衣自身も伏せた。とたんに青白い閃光が走った。けたたましい銃声が耳をつんざく。リアウィンドウが粉々に砕けた。

 硝煙のにおいが鼻をつく。頭上に突きだされたオートマチック式拳銃を、結衣ははっきりととらえた。但枡が狙ったのは結衣でなく、角間だった。

 角間は前屈姿勢のまま激しく狼狽し、両手で頭を抱えている。間一髪、難を逃れたものの、それも数秒のことでしかない。床に伏せた角間を射撃するべく、但枡は後部座席に身を乗りだしてくるはずだ。結衣はその瞬間を突こうと伸びあがった。

 ところがそれ以前に、助手席で倉橋が悲鳴をあげ、じたばたともがきだした。シートベルトが外れずパニックを起こしている。但枡は拳銃を握った手をひっこめ、銃口を助手席に向けた。結衣は但枡の腕をつかみそこねた。また発砲音が轟いた。倉橋のこめかみに鮮血が噴きあがり、肉片が舞い散った。助手席側のサイドウィンドウが粉砕された。倉橋がぐったりと弛緩した。絶命はあきらかだった。

 だが動揺に固まる結衣ではなかった。不要な動きをとるつもりもない。ドアを開けようとしても無駄だ、但枡はチャイルドロックをかけている。結衣はドングルを床のOBD2ポートに挿しこんだ。ブルートゥースでスマホに無線接続される。運転席の但枡が振り向くより早く、結衣はスマホを操作した。業務用アプリのエアバッグ一括作動処理ツールから車種を選択、タップし起動させた。

 ガス発生装置が爆発に似た轟音を発し、車体を振動させた。すべてのエアバッグがいっせいに膨れあがった。但枡の叫び声がきこえた。

 結衣は身体を起こした。但枡は巨大な風船に圧迫され、シートにのけぞっている。もう振り向けるものではない。背後から但枡の首にUSBケーブルを巻きつけた。頸部の最上位にかけるのを忘れなかった。気管を完全にふさぐためにも、索条の位置は重要になる。両手に満身の力をこめ絞めあげた。但枡は苦しげにむせながら暴れたが、しきりに咳きこむばかりになった。両手を振りかざそうと、座席の背面には届かない。

 絞殺には時間がかかる。血中の酸素、二酸化炭素濃度に異常が生じるまで二十秒。急性呼吸困難に至るまでは三十秒、昏睡におちいるのは一分後、死ぬのはその先だった。結衣はケーブルを絞めあげながら、窓の外に目を走らせた。懐中電灯の光は見えない。だが遮蔽物のない広い場所での停車は、むろん意図的にちがいなかった。車体は包囲しやすい位置にある。暗視ゴーグルを装着した敵が接近中と考えるべきだった。

 但枡が完全に脱力しきった。ようやく力を緩める。首すじに指を這わせた。もう脈はなかった。助手席の倉橋のほうもたしかめる。やはり即死だった。

 結衣は前方に身を乗りだし、但枡の膝から拳銃を奪った。渋いことにトカレフの後継、マカロフPMだとわかった。左手に握りこみ、ハイグリップの感覚を肌になじませる。但枡の身体をまさぐったが、予備の弾倉は見つからない。すでに二発撃った以上は、残り六発か七発か。抜いて残弾数をたしかめている暇はなかった。

 運転席ドアの内側に手を伸ばし、チャイルドロックの解除ボタンを押した。角間はうずくまったまま震えている。ぐずぐずしてはいられなかった。そちらのドアを開け、降車をうながした。角間は力なく車外へと倒れ、もんどりうって地面に倒れこんだ。

 結衣も外に這いだした。冷たい夜気が全身を包みこむ。吐息が白く染まった。まずいことに、まだ暗闇に目が慣れない。車内にインパネの明かりがあったせいだろう。

 姿勢を低くしながら、結衣は角間にささやいた。「きこえますか」

 角間が呻くような声で応じた。「耳が痛い」

「銃声は百三十デシベルを超えます。できるだけ耳をふさいでください。いまじゃなくて、発砲の気配を感じたらです」

「きみは」角間が顔をあげた。取り乱した反応をしめしながら、角間はおろおろと声を発した。「これは、いったい」

 冷静でいられないのも無理なかった。結衣はいった。「なにが起きてるかはわかりません。クルマ、運転できます?」

「いや。免許がない。すまない」角間は怯えきった顔でつぶやいた。「さっき、きみは、ドライバーを……。死なせたのか」

「殺したんです。生きるためです」

「まさかそんな……」

「しっ」結衣は静寂をうながした。

 複数の靴音をききつけた気がする。微風が途絶えていた、そのあいだだったように思う。いまはまた風の音しか耳に届かない。接近する敵がいるとすれば風上ではない。

 車体の側面に向き直った。この車種はドアロックが解除されていれば、給油口を開けられる。

 むかし父たちがUSBケーブルの片端を給油口のなかに垂らし、スマホを鳴らし爆発させられないか、実験していたのを思いだす。しらけた結果に終わった。静電気による放電なら火災を引き起こせるが、スマホの微弱な電流では無理だった。

 父たちはほかにもいろいろ試した。給油口に火のついたタバコを投げこんでも、やはりなにも起きなかった。ガソリンは引火しやすくても、それだけでは爆発しないとわかった。

 幼少期、結衣はそんなふうに世のなかを学習していった。知識は極端に偏っていたが、いまこういうときに役立つ。結衣はスクリュー式の給油キャップを外した。

 角間が悲痛な声で告げてきた。「やはり父親の呪縛から逃れられていなかったんだな。きみは苦しんでる」

 そうでもないと結衣は思った。アドレナリンの作用を感じる。興奮とともに感覚が研ぎ澄まされる。この瞬間にかぎっていえば、苦悩とは無縁だった。

 結衣は角間を力ずくで引き立たせた。「走ってください。まっすぐ風上に、あの電柱の方角です。絶対に逸れないで」

 角間があわてたようすで駆けだした。結衣もそれを追いかけた。後方にまた靴音が響いた。今度ははっきりきこえた。十人前後か。怒鳴りあう声もする。言葉がわからない。どの国の言語かも不明だった。

 後方から銃撃音が響き渡った。角間がすくみあがり、その場にくずおれそうになる。結衣は角間の腕をつかんで支え、先を急がせた。フルオートによる掃射、アサルトライフルにちがいない。武蔵小杉高校で耳にした銃声とは異なる。HK416ではない。

 だが近くに着弾の気配がなかった。威嚇発砲のようだ。但枡は角間を殺そうとしたのに、いま敵は命中させまいとしている。結衣が一緒にいるからか。論理的に考えればそうなる。角間を殺したがっていながら、結衣に対しては傷つける意思がない。

 結衣は後方を振りかえった。敵の銃火はクルマの周辺に明滅している。セオリーどおりだと結衣は思った。車内のようすをたしかめてから追跡に転じてくる。

 左手に握った拳銃のトリガーを引き絞り、結衣は発砲した。てのひらに強い反動を感じ、薬莢が顔の前に飛ぶ。敵の銃火が地面に這った。うつ伏せの姿勢に転じたのだろう。それこそが結衣の狙いだった。

 とたんに落雷も同然のまばゆい光が辺りを照らした。直後に爆発音が轟き、猛烈な熱風が吹き寄せてきた。突きあげるような縦揺れが襲い、角間が前方につんのめった。セダンの車体は破裂し、巨大な火球をたちまち膨張させ、複数の人影を飲みこんでいった。

 給油口から気化したガソリンが噴出しないという説は噓だ。満タン状態なら広範囲におよぶ。発生蒸気は空気より重いため地面に漂う。うつ伏せの状態でフルオート射撃すれば、こんな結果につながる。敵もありえないと思い油断したのだろうが、理屈ではない。子供のころ父が試した。

 火柱のおかげで人影が克明に浮かびあがった。ほとんどは爆風を受け、燃えさかりながら地面を転がっていた。

 武装は本格的だった。バリスティックヘルメットと暗視ゴーグル、防弾ベストにチェストリグ、膝当てにブーツ。起きあがろうとする人影から射殺していった。左の片手撃ちで、ひとりにつき一発ずつ、つづけざまに撃つ。ハイグリップを心がけ、発射の反動で生じるマズルジャンプを抑制すれば、片手でも充分に当てられる。無防備な顔を狙った。三秒ほどで六人を倒した。ほかはすでに地面に横たわり、動かなくなっていた。

 結衣は角間を一瞥した。両手で耳をふさいだ角間は、慄然としながら見かえしている。

 やはり遺伝だった、そんな結論に行き着くだろうか。結衣はため息をつき、そこかしこに点在する死体を眺め渡した。警戒しながらゆっくりと近づく。人種だけでもたしかめておく必要があった。

 びくっとして結衣は足をとめた。なにかが放物線を描きながら、至近距離に投げこまれた。白煙を噴きあげている。さらに二個めが落下してきた。次いで三個め。催涙弾に似ているが、目に痛みは走らない。

 まさか、遠巻きに包囲する別部隊がいたのか。さっきの十人前後は捨て石か。第一班の全滅を前提とした戦術とは、まるで予想もつかなかった。ここは柴又四丁目の住宅街に囲まれた工場だ。早朝の作戦行動としては派手で大胆すぎる。実際、遠くでサイレンが沸いていた。パトカーや消防車が駆けつけようとしている。

 ふいに意識が朦朧としだした。マーカーペンのインクが放つ臭気に、独特の甘酸っぱさが混ざっている。ハロタンだった。交感神経の働きを抑制する吸入麻酔薬。父もよく病院から盗んできては、銀行への襲撃に用いていた。気化しやすく、ガス弾としても製造しやすい。敵はそれを実行していた。

 新たな敵が包囲を狭めてくる。目を凝らすと、誰もがガスマスクを装着していた。さっきの捨て石たちは身につけていなかった装備だ。

 結衣は立っていられなくなった。膝をついた直後、その場に突っ伏した。身体が地面に叩きつけられたのに、もう痛みすら感じない。

 角間の叫ぶ声がきこえた。「結衣さん! なにがあっても、きみはきみだ。道を踏み外すな。ひとりきりじゃないってことを忘れるな」

 かろうじて意識をつなぎとめながら、結衣はなんとか顔をあげ、後方を振りかえった。角間は上半身を起こしていた。切実なまなざしを結衣に向けている。近くにガスマスクの男がふたり立っていた。うちひとりがアサルトライフルの銃口を角間に向けた。

 結衣は立ちあがろうとしたが、脚に力が入らない。銃撃音が容赦なく響き渡った。鮮血が霧状に舞った。角間は目を剥いたまま、仰向けに倒れた。流血が胸もとを真っ赤に染めていた。

 悲哀と憤怒が同時に心を満たしていく。結衣は這ってでも近づこうとしたが、強烈な睡魔を振り払えなかった。瞬時に結衣の感覚は機能を失い、思考ひとつ働かなくなった。

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