嘘でしょ? 猫が二足歩行して渋いオジサマ声で喋ってるなんて/『お直し処猫庵』③

文芸・カルチャー

2019/12/8

悩める皆さま、猫店長にそのお悩みを打ち明けてみませんか? 日常のちょっとへこんだ出来事や小さな悩み、だけど自分にとっては大切なことを、猫店長が解決? 案外泣けると話題のちょっと不思議で幸せな物語集。

『お直し処猫庵 お困りの貴方へ肉球貸します』(尼野ゆたか:著、おぷうの兄さん(おぷうのきょうだい) :イラスト/KADOKAWA)

「かくなる上は、兵法の真髄を見せてくれよう」

 猫の口から、張りのある低音ボイスが飛び出した。由奈は苦笑した表情のまま、その場に固まった。猫が? 立ち上がって歩いて? 人間の言葉を喋っている?

「三十六計逃げるに如かず、である」

 猫は扉を閉めると、すたこらと走りだした。勿論、後ろ足で立ったままだ。腕を振り、ももを上げる、人間の走り方である。

 由奈は唖然とする。何だこれは。サムライが時空を越えてやってくる方がまだ現実的だ。

「あっ、店長。出て行っちゃダメですよっ」

 声がして、扉が開く。顔を出したのは、一人の青年だった。エプロンを着け、手にはブラシを持っている。

「えい」

 店から出てくると、青年は猫を捕まえた。この猫の全力疾走は、猫とは到底思えないほどに遅く、青年は小走り程度で追いついたのだった。

「営業時間中に店を空けるなんて、店長失格ですよ」

 青年は一生懸命走る猫の両脇を掴み、そのままひょいっと抱え上げる。

「ぬう。猪口才な」

 猫はもがくが、まったく逃れられない。猫の柔軟さなら、ぐいっと体を折り曲げ後ろ足で蹴りを入れるくらいのことは簡単にできる。しかしこの猫は体が硬いのかそれとも鈍くさいのか、足をじたばたさせるのがやっとのようである。

「はい、それじゃ戻って改めて――ん?」

 青年が、由奈の存在に気づいた様子を見せた。

「あ、もしかして何かお直しですか? 今なら換毛期割で、とってもお得ですよ」

 そして、猫ごと由奈に向き直ってくる。

「うむ。猫の手を、貸してやろう」

 抱え上げられた姿勢のまま、猫が偉そうに言った。

 ――こういう時、つい「はい」と答えてしまうのが由奈の駄目なところだ。

 

「猫庵」のインテリアは、一言で言うなら和風喫茶店といった趣だった。

 右側の壁沿いには、四人がけのテーブルが縦に二つ並んでいる。テーブルも椅子も木製で、深い茶色の色合いが落ち着いた雰囲気を感じさせる。テーブル同士はパーティションで区切られており、そのパーティションは竹のような素材でできていた。

 反対側は、手前にスペースがあり、その奥にカウンターという作りになっていた。カウンターも、テーブル席と同じ色で揃えられている。カウンターの上には、差し掛けられるようにして大きな赤い和傘が開いていた。

 カウンターの後ろの壁には、棚が取り付けられている。棚には、雑多なものが並んでいた。ミシン、カリブの海賊が使うような望遠鏡、AIスピーカー、なぜか刀らしきものまである。他の部分は方向性が統一されているのに、ここだけやたらとバラエティ豊かだ。

「どうぞ、お掛けになってください」

 青年が、カウンターの椅子を引いて勧めてきた。

「ありがとうございます」

 慌てて会釈を返すと、由奈は椅子に腰掛ける。

 椅子の座面は、さっきの猫のような縞模様のクッションになっていた。腰を下ろしてみると、柔らかくて座り心地がいい。背もたれは低めだが、しっかりと体を支えてくれる。

「よっと」

 隣の椅子に、あの猫が座ってきた。由奈と同じように、お尻を座面に置く形で腰を下ろしている。この椅子は人間だけではなく、猫も座れるように設計されているようだ。ってそんなはずない。

「どうした、小娘」

 愕然とする由奈に、猫が訊ねてきた。相変わらずの渋いオジサマ声だ。

「驚いてるんですよ。偉そうに喋る猫なんてまず見かけませんからね」

 二人の後ろを通りながら、青年が言う。

「偉そうにとはなんだ。童の方がよほど偉そうではないか。弟子の分際で生意気な」

 振り返りながら、猫は怒った。前足でカウンターをぱんぱん叩いている。怒っているところ悪いのだが、正直可愛い。

「僕は童じゃありません」

 青年はそう言い返すと、店の奥まで歩いた。カウンターは、奥の方で扉のような形になっている。

「お飲み物用意しますね」

 その「扉」を押し開けてカウンターの中に入ると、青年は由奈に微笑みかけてきた。

「折角ですから、店長の話し相手になってあげてください」

「その店長というのはやめぬか。わしは庵主だと言うておるだろう」

 猫が苦々しげに口を挟む。

「それじゃお客さんが分からないですよ。現代的な言葉じゃないです」

 猫の指摘を適当に受け流すと、青年はあれこれと作業を始めた。

「けしからん。何が『現代的な言葉じゃないです』だ。茶の湯の道は、流行り廃りに媚びることではない」

 忌々しそうに言うと、猫は前足を器用に交差させ腕組みのような姿勢を取った。やはり可愛い。お尻の下に敷いた尻尾が、不満げにぱたぱた動く。それも可愛い。

 実に素晴らしい光景だが、とても現実のものとは思えない。由奈は考える。実は、転んだ時激しく頭を打ってしまったのではないのか。これは夢であり、本当の自分はスマホ片手に公園で気絶しっぱなしなのではないか。

「で、小娘。何が壊れてしまったのだ」

 店長――アンシュとは何かよく分からないのでそう呼ぶことにする――が訊ねてきた。目下のところ一番破壊されているのは常識と現実感なのだが、そういうことを聞いているわけでもあるまい。

「ええと、それは」

 鞄に手を入れ、ストラップを取り出す。

「これ、なんですけど」

「ふむ。見せてみよ」

 組んでいた前足を解くと、店長はその一方を差し出してきた。

「はあ、はい」

 戸惑いながら、由奈は店長にストラップを渡す。

「ふむふむ」

 ストラップを受け取ると、店長はまじまじと見つめ始めた。

「なるほどな」

 やがて店長はうむと頷き、青年の方を向く。

「童。倉庫にカニカンがあっただろう。持ってこい。あと、ヤットコもだ」

「ええっ、今から豆を挽くところなのに。自分でやってくださいよ」

 店長の指示に、青年は不満げな返事を投げ返した。

「口答えするでない。これも修業である」

 店長が、ストラップを持っていない方の前足でカウンターをぺしぺし叩く。

「はいはい。弟子使いが荒いなあ」

 青年はぶつくさ言いながら、カウンターの奥へと歩いて行った。突き当たりにはドアがあり、青年はそれを開けて外へ出ていく。

「まったく、口答えばかり達者になりおって」

 店長は、ふんと鼻を鳴らした。

 そのやり取りを、由奈はただ眺めるばかりだった。本当を言えば、聞きたいことは沢山ある。なぜ、猫なのに喋ることができるのか。青年は、なぜ猫が喋ることを普通に受け入れているのか。弟子って、どういうことなのか。

 しかし、まったく切り出せない。何しろ人間とお喋りするのも下手なのである。人間以外と会話するなんてどう考えても不可能――

「なんだ小娘。言いたいことがあるなら言ってみろ」

 いきなり、店長が横目で由奈を見てきた。

「えっ」

 由奈は動揺する。この猫、話すことができるだけではなく人の心も読めたりするのか。

「何をそんなに驚く。お主の顔を見ておれば、考えていることなど大体分かるわ」

<第4回に続く>