猫指数MAXの携帯ストラップでデートに臨む! 失礼彼氏は何と言う!?/『お直し処猫庵』⑦

文芸・カルチャー

2019/12/12

悩める皆さま、猫店長にそのお悩みを打ち明けてみませんか? 日常のちょっとへこんだ出来事や小さな悩み、だけど自分にとっては大切なことを、猫店長が解決? 案外泣けると話題のちょっと不思議で幸せな物語集。

『お直し処猫庵 お困りの貴方へ肉球貸します』(尼野ゆたか:著、おぷうの兄さん(おぷうのきょうだい) :イラスト/KADOKAWA)

 次の日曜日。由奈は克哉と出かけることになった。散々迷った末、スマートフォンには猫の肉球ストラップと猫庵ストラップの両方を付けた。今や由奈のストラップは、史上最高級に猫指数が高まっていた。

 まず、二人は映画を観に行った。克哉が観たいといった単館上映系の邦画で、最初から最後までよく分からない内容だった。映画が終わった後はカフェに行き、克哉による講釈が行われた。なんでも原作を脱構築しているらしい。やっぱりよく分からなかった。

 その後は眺めがいい建物へ行ったり、アウトレットショップに行ってみたり、ボウリングをしたりした。一つ一つをゆっくり味わう暇もなくあっちへこっちへとせわしなく移動する、いつもどおりザ・克哉なスケジューリングだ。

 夕食は個室の焼肉だった。克哉は由奈に何も聞かず、肉の後に肉が延々来るようなコースを二人前注文した。

 この間、由奈は店長ストラップを触らなかった。――いや、触れなかった。あの日、猫庵で繰り広げた突然のマシンガントーク。あれが出てしまったらどうなるのか、想像も付かなくて、怖かったのだ。

 店長は言った。『自分の気持ちをちゃんと伝えてみよ。そうすれば、分からなかったことが分かったりするかもしれんぞ』と。その分からなかったことというのは、ひょっとしたら分からない方がいいことだったりしないのか。

「でさ、フットサル経験者が少なくってさ。俺結構頼られちゃってて」

 そんな由奈の葛藤など気づく様子もなく、克哉はいつも通りに自慢話を繰り広げる。

「そうなんだ」

 由奈も、いつも通りに相槌を打つ。

「まあ、実際エース級の活躍ではあったけどね。ハットトリックも決めちゃって」

「すごいね」

 代わり映えのしないやり取り。今日も結局こんな感じで終わっていくのだろうか。

 猫庵でまくし立てた時の感覚を思い出す。不快ではなかったけれど、だからといって痛快とか爽快とかそういうこともなかった。あれをもう一度味わうよりも、こうしてルーチンワークをこなしていればいいのではないのか――

「って、まだそのストラップつけてたんだ」

 ――唐突に、話題が由奈のストラップに移る。

「やっぱり子供っぽいよ、それ。なんか増えてるし」

「ふえてるし」の音程を付けた言い方が、言葉以上のニュアンスを醸し出してきた。あの時感じた嫌な気持ちが、より何倍にもなって押し寄せてくる。

「取った方がいいって。子供じゃないんだしさあ」

 肉を焼く手を止め、克哉が言う。これは、由奈が外すまで話題を変えないつもりだろう。

 外すか、外さないか。言う通りにするか、しないか。

『自分の言葉は、自分で紡がねばならないからな』

 唐突に、店長のそんな言葉が蘇ってきた。

「これは、これは」

 由奈は決意し、ストラップを――きゅっと握る。

「これは、わたしが自分で買ったお気に入りなの。なんでわたしのお気に入りにどうこう言われないといけないの? そりゃいきなりフリル大盛りのヴィクトリアンな格好で現れたとか、手回り品が突然全部バットマンで統一されたとかなら何か言われても仕方ないと思うけど、これストラップよ? 別にストラップくらい良くない?」

 言葉が流れ出す。今まで押さえつけて、押さえつけて、自分でも形が分からなくなっていた気持ちが一気に溢れ出す。

「あなたはあなたの好きにしてるじゃない。大体今日の映画だってなにあれ。原作の脱構築だかなんだか知らないけど、訳分かんなくて脱力してたわよ。それからも予定は詰め詰めだし、全然落ち着かないし」

 克哉は、ぽかんとしている。突然のことで、理解が追いつかない――そんな感じだった。

「晩ご飯は焼肉だし。どうしてハイカロリーな店にばかり連れて行くの? わたしを太らせたいの? 高い店に連れていけば女が喜ぶと思ったら大間違いよ」

 徐々に声に力が篭もっていく。個室とはいえ、あまりにも大きな声を出したら筒抜けだ。それは分かっているのだが、どうにも押さえられない。

「あと、自慢話ばっかりもいい加減つまんないよ。わたしは武勇伝に相槌を打つ用マシーンじゃないの。大体、偉そうに自分スゴイアピールする割に、着ている服とか大体先月号のメンズノンノの特集って感じで没個性よね」

 そこまで言い切って、ふっと由奈は我に返った。いくら何でも、一度にぶちまけすぎたのではないか。

 克哉の様子を窺ってみる。克哉は呆然として、網の下の炭火を見つめていた。

 気まずさを紛らわせようと、由奈は肉を焼いて食べた。あれだけ文句を言っておいてなんだが、大変美味しいカルビだった。

「あのさ」

 由奈がハラミを焼きだしたところで、ようやく克哉が口を開いた。ちらり、と由奈を見て、またうつむく。今までと打って変わって、気弱な感じだ。

「実はさ、俺。前に付き合ってた女の子が――」

「このタイミングで他の女の人の話?」

 かちんとくる。意味が分からない。どういうつもりなのか。

「ああ、いや。確かにそうだな、おかしいよな。すまん」

 慌てた様子で、克哉が手を振る。悪気があったわけではないようだ。

「どういうこと? 話してごらんなさいよ」

 なので、怒りはひとまず保留にして聞いてみる。

「その、学生の頃に付き合ってた女の子が、結構キツい子で。色々言われて振られたんだ」

 ぽつり、ぽつりと。克哉が話し始めた。

「『もっとリードして』とか。『女がサインを送ったら察して動いて』とか。『話が自虐ばっかりで嫌』とか。『ファッションセンスが悪いから雑誌を見て』とか。だから俺――」

「ちょっと待って」

 最後まで聞いていられなかった。

「前の彼女に言われた通りに、そう振る舞ってるの?」

 やはり、分からない方がよかったことを分かってしまったのかもしれない。

「わたしがどう思うかじゃなくて、学生時代の彼女に何て言われたかを大事にしてるの?」

 最悪だ。要するに、ふられた傷を癒やすための代用品だったのだ。由奈はスマートフォンと鞄を引っ摑んで立ち上がる。だったら、もうここにいる意味はない。

「違う、違うんだ」

 由奈に、克哉は必死で訴えかけてくる。

「その彼女は、初めてできた彼女で」

 恥じているのか、顔が真っ赤だ。それについては、だからどうしたという感じだ。由奈は克哉が初めてできた彼氏である。

 由奈を驚かせたのは、克哉が必死になっていることだった。いつも上から目線の自慢話ばかりだった克哉が、なりふり構わず由奈を止めようとしている。こんなこと、初めてだ。

「それから、好きになれる女性は見つからなかった。仕事に打ち込んだら結果が出て、寄ってくる女の子もいたけど、ぴんとこなくて。そんな時に、由奈と出会ったんだ」

 ――初めて出会った日のことを思い出す。職場の飲み会の二次会。帰るとも言い出せずついて行ったバーで、声を掛けてきたのが克哉だった。優秀なイケメン風の克哉が自分などに声を掛ける理由が理解できず、由奈はマルチ商法か結婚詐欺に違いないと思って避けたものだ。それでも克哉はアタックしてきて、ついに由奈は折れ付き合うことになった。

「だから、前と同じ失敗はしないようにと思ったんだ」

 克哉の目は、懸命だった。

「由奈を、失いたくなかったから」

 まったく、何を言っているのか。由奈を失いたくないのなら、由奈のことなり気持ちなりを大切にするべきだ。手法を思いっきり間違っている。そんなことでよく営業のような仕事ができるものだ。男女のことになるとからきし駄目になる人間がいるという話は聞いたことがあるが、ここまで凄いのがいるとは考えもしなかった。

「――」

 なんてことを一言も口にできず、由奈はただ沈黙していた。耳がとても熱い。克哉から、こんなに直接的に気持ちを伝えられたことなんてなかった。どんな顔をすればいいのだ。『分からなかったことが分かる』――店長の言葉は、やはり当たっていた。

 店長と言えば、おかしいことがある。今も店長ストラップを触っているのに、どうして由奈はまた喋れなくなっているのか。

 ストラップを見ると、特に変化はない――いや、違う。店長の肉球マークが消えている。あの光の力は、消えてしまったらしい。

『あくまで助けである。いつまでも続くわけではない』

 店長の言葉が、今更になって理解できた。ああ、そういう意味だったのか。

「ストラップのこと、本当にごめん。あんまり深く考えてなかったんだ。いや、深く考えてないこと自体がだめなんだな。すまない」

 克哉が謝ってきた。ただ口先だけで謝っているのではなく、由奈の気持ちを汲んでくれている。今までとは違う。ちゃんと反応しなければ。

 ――いや。ちゃんとしてなくたっていいのだ。さっきの克哉はどうだ。普段のやたら滔々とした物言いとは全然違う、無闇にエネルギー過剰な口調だった。それでも、彼の気持ちはよく分かったではないか。

「いいの。ううん、よくないけど、いいの」

 上手い下手ではない。伝えたいという気持ちが、どれだけあるかだ。

「気を使ってくれて、嬉しいわ」

 心の中で渦巻いている色々な思いを、一言に込める。これが、由奈の言葉だ。

「そうか」

 ずっと強張っていた克哉の表情が、和らいだ。伝わったようだ。

 瞬間、由奈の中に、ふわっとした気持ちが巻き起こった。猫庵で感じた恥ずかしさとは違う、もっとくすぐったく沸き立つような気持ち。

 そうか。由奈は噛み締めるように思う。誰かと気持ちが通じ合うっていうのは、こういうことなんだな。

 

 ――その後。由奈は何度も猫庵を探したが、遂に見つけられなかった。あの日と同じ道を通り、辺りをくまなく探しても、あの不思議なお店に辿り着くことはできなかった。

 夢だったのだろうか。時々、そう思うことがある。しかし、言葉を話す不思議な猫がくれたストラップは、今でも由奈のスマートフォンにぶら下がっている。やはり、本当にあったことなのだ。

 ちなみに。今の由奈は、スマートフォンにストラップを三つつけている。あのお店でもらった、猫の毛を使ったシルエットストラップ。昔自分で買った、猫の手を象ったもの。そして、旅行に行った時克哉が買ってくれた、兜を被ったゆるキャラの猫だ。

 三つぶら下げて、全部猫。ちょっと猫指数が高すぎる気がしないでもないが、由奈はどれも気にいっている。

続きは本書でお楽しみください。