第1回 チョコレートが好き 【宇垣美里・愛しのショコラ】

小説・エッセイ

更新日:2020/2/7

 いまさら、「どうしてそんなにチョコレートが好きなの?」って聞かれたって、私にだってわからない。産声を上げた瞬間からもう好きだったような気さえする。数多ある食べ物の中でも、年々種類の増えるスイーツの中でも、チョコレートだけが私にとって特別で大切で幸せだ。

 だってチョコレートは優しい。

 くたくたに疲れ果てて泣いてしまいそうな時、心が折れて世界にたったひとりぼっちのような気持ちになってしまっても、いつだってチョコレートは優しく慰め、寄り添ってくれた。

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 仕事を始めたばかりの頃、自分のふがいなさが悔しくて、でも上京したばかりで友人なんてほとんどいなくて、ベッドの下にうずくまりながら頬張る一口チョコだけが温かかった。何もかもが嫌で噛むことさえ億劫な時はじんわり舌の上で溶かす。ゆるゆると広がる甘さがどこまでも優しくて、もう一度頑張れる気がした。

 ここぞ、という時に頼れるのもチョコレート。お気に入りの一粒に誓いをかけて頬張ると、脳にダイレクトに効いてくる。くじけそうになっていた私の背中を「さあ、もうひと踏ん張り!」とそっと優しく押してくれるのだ。

 チョコレートは美しい。

 ガラス張りのショーケースに規則正しく整列されて飾られる、その姿はまるで宝石。
キューブ型だったり長方形だったり、ハート型、宝石型、チェック模様や金箔や赤い果実ののったもの。深いダークブラウンから溶けちゃいそうなキャラメル色に可愛らしいピンク色、イノセントなホワイトまで多種多様で、ああもう、目移りが止まらない。

 スーツのようなカチッとした固形感と、それでいてころんとなめらかでシルクのような表面の艶やかな様が、禁欲的でいて煽情的で、もはやたまらなくエロい。見ているだけでうっとりと幸福感が波のように押し寄せてくるのを感じる。まさに造形美の権化、しかも食べることもできる!

「食べちゃいたいほどかわいい」なんていうけれど、宝石・美術品を口にすることはできない。実際食べられないものばかりだ。唯一チョコレートだけが、この身に取り込み糧とすることができるのだ。血潮に溶けたあの美しいチョコレートはきっと私そのものをも輝かせることだろう。美しいものは心も体も救ってくれる。

 チョコレートはかぐわしい。

 あの香りを嫌いな人なんて、いないんじゃないだろうか。香りをきっかけに記憶がよみがえる現象のこと「プルースト効果」と呼ぶけれど、チョコレートの香りによって引き起こされるその効果はあまりにも多すぎて、もう記憶の洪水だ。

 芳醇なカカオとまろやかなミルクの混ざり合った優しい香りは、幼い頃、母と悪戦苦闘しながら作ったケーキのクリームに汚れた手のべたつきを。ほろ苦いダークな香りはひとり問題を解き続けたあの自習室の寒さを。いちごの甘酸っぱさが加わった香りは、放課後友人たちと奪い合いながら食べた騒がしい夕暮れの道の赤さを。ラム酒の混じった豊満な大人の香りは、もう二度と会えない大切だった人の優しい声を。

 つくづく私の人生にはいつだってチョコレートがそばにいたんだと気づかされる。あんなにも大切だったのに、いつしか薄れゆく記憶に手を伸ばさんと、チョコレートをほおばっているのかもしれない。

 だから、チョコレートは美味しい。

 甘くて苦くてフルーティーで豊かで大人でコクがあって……言葉では言い尽くせないほどの魅力でいっぱいの私の大好物。チョコレートの与えてくれるこのぽかぽかした気持ちはいったい何なんだろう。

 戸棚のストックがなくなれば途端に不安になってしまう。帰り道に食べきってしまったことを思い出してあわててお店によることもある。別に食べなくったって生きていけるし、もっと栄養価が高いものがあることも分かっている。

 それでも、一度あの味、あの香り、あの魅力を知ってしまえば、もうなかったころになんて戻れない。チョコレートなしの人生なんて耐えられない、もうすっかり虜だ。

 どうしてこんなにもチョコレートが好きなんだろう。

 分からないから食べるのだ。長い長い旅路を経て出来上がったチョコレート。私の手元まで届いた奇跡を神に感謝しつつ、溶けないうちにと口元に運ぶ。やっぱりわからない。なんでこんなに好きなんだろう。もう一口、もう一口……。何度でも繰り返し、解けない問いに向き合い続けている。私ってなんて真面目なんだろう! 誓ってこれは研究です。

【筆者プロフィール】
宇垣美里(うがき・みさと)
兵庫県出身。2019年3月にTBSテレビを退社し、4月からフリーのアナウンサーとして活躍中。チョコレートのほか、無類の旅好き、コスメ好きとしても知られる。週刊誌、WEBサイトでコラムやエッセイなど多数連載中。19年にはファーストフォトエッセイ「風をたべる」を刊行。

撮影=中村和孝(まきうらオフィス)/ヘアメイク=AYA(LA DONNA)/スタイリスト=小川未久(宇垣さん衣装)、片野坂圭子(雑貨)/編集協力=千葉由知(ribelo visualworks)

衣装協力=【パンツスタイル】メゾン イエナ(キャミソール、デニム / 03-5731-8841)、オプティカルテーラー クレイドル青山店(眼鏡 / 03-6418-0577)、moil(リング / info.il.moil@gmail.com )