ホラー映画の登場人物の気持ちが少しわかった気がした/『蕎麦湯が来ない』⑤

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/13

美しく、儚く、切なく、哀しく、馬鹿馬鹿しく、愛おしい。鬼才と奇才。文学界の異才コンビ・せきしろ×又吉直樹が詠む、センチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句集より、その一部をご紹介します。

『蕎麦湯が来ない』(せきしろ又吉直樹/マガジンハウス)


ナイロンジャケットの擦れる音が耳に残る

 風が吹いている夜。見上げると雲の流れるスピードが速く、月が見え隠れしている。私は終電を逃し、お金も使ってしまったので徒歩で帰宅していた。

 酔っ払いも、ホステスも、残業終わりの人も、スケボーに乗った若者もいなくて静かだ。風の音がするが、それよりナイロンジャケットの擦れる音が耳に残る。

 暗い道で自動販売機がただ光っていた。それはヤクルトの自動販売機で、ミルミルを買おうかどうか迷った末、買って飲んだ。「ああ、こういう味だったなあ」と思い出しながらすぐに飲み終わり、横にあったゴミ箱に捨てた。

 再び歩きだそうとした時、十メートル先くらいを何かが横切った。私はビクッとして足を止めた。それはすぐに路駐してあった車の陰になって見えなくなった。

 私はその場に立ちすくんで今見た物体の正体をしばし考えた。猫が走るくらいのスピードだったが、猫のような形にも動きにも見えなかった。何だったのかを想像する度に怖くなり、臆病になる。

 よくホラー映画の場面で、何か起こりそうな方へわざわざ行く人がいたりする。行かないと物語は進まないことは置いといて、あれを観るたびに「行くな!」と思う。行って、悲惨な目にあって、「ほら、だから言ったのに!」と思う。自分なら絶対に行かないと何度も決意したものだ。

 しかし私は確かめようと近づき始める。恐怖もあるが、それより「怖いものではなかった」という安心感が無性に欲しくなったのだ。ホラー映画の登場人物の気持ちが少しわかった気がした。

 意を決し車の陰を覗き込んだ。そこには紙袋があった。茶色で無地のオーソドックスなものだった。それが夜風に押され移動したようだ。風がまた吹き、タイヤで進路をふさがれた紙袋はガサガサと音をたてた。

 ということは、私は紙袋に恐怖を感じていたことになる。これは恥ずかしい。慌てて私は辺りを見渡した。誰もいない。よかった。こんな姿を一部始終見られていなくて本当によかった。

 夜道で見間違えたといえば、以前紙幣が落ちていると思い喜び勇んで駆け寄ったら葉っぱだったことがある。タヌキに化かされた気分を味わったのはその時が最初で最後だ。

せきしろ

<第6回に続く>