後輩芸人からの悩み相談への答えは「一番自信のあるギャグを見て判断させて欲しい」/『蕎麦湯が来ない』⑥

文芸・カルチャー

公開日:2020/5/14

美しく、儚く、切なく、哀しく、馬鹿馬鹿しく、愛おしい。鬼才と奇才。文学界の異才コンビ・せきしろ×又吉直樹が詠む、センチメンタル過剰で自意識異常な自由律俳句集より、その一部をご紹介します。

『蕎麦湯が来ない』(せきしろ又吉直樹/マガジンハウス)

そこからだと月は見えない

 突然、後輩から電話があった。数年前は毎日のように顔を合わせていたから随分久しぶりのように感じた。最近は劇場で会うと「また飲みにいこう」とは言うものの、なかなか実現していなかった。このタイミングでの電話は嫌な予感がする。

 下北沢の中華料理屋に一人でいることを伝えると、会うことになった。後輩は店に着くなり、「実は相談がありまして……」と重い口調で話しはじめた。後輩は数年前にコンビを解散したあと、一人で活動を続けていたが、演劇に出演する機会があり、お芝居の面白さと厳しさを痛感し、本気で役者をやりたいという気持ちが強くなったらしく、その一方で芸人を続けたいという気持ちもあるという。

 僕は両立を提案したが、芸人のままだと、演劇の世界の人達から甘やかされてしまうことが本人は嫌なようだった。真っ直ぐな目で「僕ちゃんと怒られたいんです」と訴える後輩の熱い言葉が、隣のテーブルの男女に変な意味で解釈されていないか少し気になった。ようするに、役者と芸人どちらを選ぶべきか自分では解らないから僕に決めて欲しいということだった。人の人生を先輩とはいえ決めるのは簡単なことではない。

 僕は少し酔っていたこともあり、「ここ数年で一番自信のあるギャグを見て判断させて欲しい」と後輩に言った。彼はそこから、一滴も酒を飲まずブツブツ独り言を呟きながらシミュレーションを始めた。

 店の外に出ると人通りが少ない場所まで二人で歩いた。彼がストレッチを始めると、道行く人は喧嘩でもするのかと怪訝な表情で通りすぎた。

 覚悟を決めて「行きます」と彼が言うと泥酔したカップルが横を通り、また仕切り直すということを数回繰り返した。

 そして、ついに二人で向き合った。空には月が出ていた。彼は瞳孔が開ききった顔で、両手を羽ばたかせ、『蝶々~蝶々~、情緒が不安定~!』と大声で叫びながら路上に倒れた。彼は目を見開き涙を流していた。

 そして寝転んだまま僕のジャッジを待っていた。僕は後輩に近寄り、「いい劇団紹介するわ」と最初から決めていた言葉をかけた。すると彼は、大声で「お〜い!」と叫んだ。今のところ彼は芸人を続けている。

又吉直樹


<第7回に続く>