自分嫌いは自分好きの裏返し!? “自己愛“と”ナルシシズム“の違い【他者という病/中村うさぎ】/本は3冊同時に読みなさい②

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/7

長い期間での外出自粛が求められて、お家で過ごす時間が増えた人も多いのではないでしょうか。こんなときこそ、読書をして人生を豊かに広げましょう。月平均300冊読む佐藤優氏が一生ものの読書法を伝授。これまでの書評をまとめた1冊から厳選してご紹介します。

本は3冊同時に読みなさい
『本は3冊同時に読みなさい』(佐藤優/マガジンハウス)

 読書によって代理経験を積むことができると「はじめに」に書きましたが、この章では特に、自分が経験し得ない世界を垣間見ることで人間理解が深まる本を挙げます。

 臨死体験、発達障害、依存症など、自分が経験しないことを、体験者もしくは臨床医から学ぶことができます。私は高校一年の時に東欧・ロシアを一人旅しましたが、もしあの時旅に出ていなければ、私自身、ゲーム依存に陥っていた可能性を否めません。ひょっとすると自分もその立場になっていたかもしれない、そうした可能性を読書で感じることによって他者理解を進めることができます。

 最近では古谷経衡さんが『毒親と絶縁する』(集英社新書)を出しました。これは教育虐待の話です。今、大学で教え子と話していても半数くらいが教育の過程で嫌な記憶を持っている。80年代に話題を呼んだ「家族ゲーム」に描かれたような教育虐待はいまだに、形を変えて日本社会に存在しています。

 モンテッソーリは日本ではエリート早期教育のように認識されていますが、実際には障害児教育がベースになっています。大人とは異なる世界を生きている子供を理解する、すなわち、他者の固有性を理解する、まさに本を読む意味がここにあります。

 出版社の社長である見城徹さんはピカレスク小説の主人公のような人物です。人間理解のテキストにふさわしい一冊と言えるでしょう。

他者という病

中村うさぎ 新潮社

 私にとって、中村うさぎ氏は、思想について語り合うことができるかけがいのない友人だ。それだから、私は、聖書について、うさぎさんと語り、それを2人で作品に仕上げてきた。本書『他者という病』で、うさぎさんは、愛のリアリティーを説いているというのが私の解釈だ。

 本書で詳しく述べられているが、うさぎさんは臨死を体験した。もっとも臨死と死は本質的に異なる。この世に戻ってこないことが死の条件だからだ。ただし、臨死を体験した人の話は重要である。この体験を通じて、普段は、到達しようといくら努力しても到達することができない無意識の世界を旅しているからだ。うさぎさんは、原因不明の病気で、2014年に3回、心肺停止に陥った。まさに臨死体験をしたわけだが、まさにブラックアウトで、見えたのは暗黒だけだったという。そこでうさぎさんは、言語では表現することのできない何かを見たのだと私は確信している。この無意識の世界は底なし沼だ。しかし、この底なし沼にも底がある。うさぎさんは、暗黒の底に触れて、再びこの世界に戻ってきた。暗黒の底に触れて、うさぎさんは、愛のリアリティーを新しい言葉づかいで表現するようになった。具体的には、「ナルシシズム」と「自己愛」の分節化である。<では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことであるなら、「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と「愛」の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いということになる。/(中略)たとえば「母性愛」という言葉で表現されている感情は、私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長線上に位置するものだと感じる。/(中略)我々はナルシシズムから極力脱却しようと 試みる一方で、正当な自己愛を失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも醜さも受け容れて愛すること……それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪したりするのは、すべて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。/自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価値を貶める行為であり、いつまでたっても正当な自己評価には至らないのである>。

 イエス・キリストは、「隣人を自分のように愛しなさい」(「マタイによる福音書」22章39節)と述べた。自己愛は、隣人愛の前提なのである。ナルシシズムに苦しんでいる人はたくさんいる。そこから抜け出していく処方箋はなかなか描けない。うさぎさんは、夫をはじめとする何人かの具体的な人々との現実に存在する愛という関係によって、ナルシシズムの罠から抜け出すことに基本的に成功している。

 本書を読んで、私は自分の人生体験が浅いことを痛感した。私は臨死を体験したことはない。しかし、鈴木宗男事件に連座したとき、一度、社会的に葬り去られた。その意味では、社会的な臨死体験をしたと思っていたが、認識が甘かった。社会に問題を還元するのではなくうさぎさんのように己の問題として死についてもっと掘り下げて考えなくてはならない。中村うさぎ氏とこのテーマについて一緒に仕事をしたい。

――『波』2015年9月号

<第3回に続く>

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