ショックで不登校にならないあたしを褒めてほしい……/チェス喫茶フィアンケットの迷局集③

小説・エッセイ

公開日:2021/4/22

チェス喫茶フィアンケットの迷局集
『チェス喫茶フィアンケットの迷局集』(中村あき/双葉社)

 珈琲とチェスを楽しむ喫茶店「フィアンケット」。そこでバイトを始めた高校生の柚子子と、クラスメイトにして代理店長の世野が、不可解な謎を解き明かしていく“日常本格ミステリ”。天真爛漫な柚子子と冷静沈着な世野の凸凹コンビっぷりに、思わず胸キュン!? 〈第3回双葉文庫ルーキー大賞受賞作〉

 出だしこそ盛大にすっ転んだものの、高校生活は概ね穏やかなスタートとなった。

 最初は慣れないペースに戸惑ってしまうこともあったけれど、それでも一つ一つ日々の基本的な事柄をこなしていくうちに、新入生気分やお客様感も徐々に薄れてきた。

 入学式で変に目立ってしまったことも、あまり気にされていないようだ。その後クラスのみんなとはあっけないほど自然に打ち解けられた。今は男子も女子も分け隔てなく、大方のクラスメイトとは前からの知り合いかのように仲良くつき合えている。

 ――隣の席の一人を除いては。

「おはよう、世野くん」

「…………」

「おはようございまーす」

「…………」

「お・は・よ――」

「壊れたスピーカーみたいな大声を出すな。鼓膜が幾つあっても足りない」

 ぐぬぬ……。

 朝のあいさつをしただけでこの言われようだ。ショックで不登校にならないあたしを褒めてほしい。

 不愛想で、口が悪くて、やたら偉そうな彼の名前は世野終くんといった。性格はこの通り難儀だけど、外見はもうその辺の下手なアイドルより決まってるもんだから、それが余計に癪に障る。

 というか、呼びかけて返事が返ってくればまだいい方なのだ。大抵は話しかけても無視されるか、見下すような視線が一瞬向けられるかのどちらか。ショックで不登校にならないあたしを褒め称えてほしい。

 彼のこうした態度は、しつこいあたしに比べたらいくらかましとはいえ、周りのクラスメイトに対してもそう変わらなかった。こんなルックスだから、入学当初はたちまち女子たちの間で人気者になり、上級生の先輩まで視察に訪れる始末。けれど、やがてあまりに素っ気ない態度に一人、二人と心を折られ、去っていくことになった。今や熱心なファンさえ遠巻きに見守って小声できゃーきゃー言うくらいしかできない状態だ。

 ――もう少し心を開いてくれてもいいのに、って思う。

 そうすればお互いのこと、もっと知り合ったりできるのに。別に、それでゆくゆく彼とどうこうなろうとか考えてるわけじゃない。でも、せっかく同じクラスで席も隣同士なんだし。つんけんせずに、もっと他愛ないことをのんびり喋ったり、笑い合ったりしたい。そんな風に思うのは、いけないことなんだろうか。

 まあ、なんにしても高校生活は始まったばかり。焦る必要は全然ないのだ。今のところはゆるりと気長に構えていよう。

 ――と、言いたいところだけど。

 彼とは別のところで一つ、あたしには何よりも急いで片をつけておかないといけないことがあった。

 本当は引っ越してきてすぐにやらなくちゃいけなかったこと。

 それは重々分かっていたのに、勇気がなくてずるずると今まで引き伸ばしにしてしまっていたのだ。

 だけど、今日こそは――あたしはそう心に決めていた。

 やって来た放課後。

 ホームルーム終了のチャイムが鳴るのと同時に速攻で帰り支度を済ませ、鞄を引っつかむ。立ち上がり、なんの気なしに隣の席に目をやると、そこは既にもぬけの殻だった。でも、いつもこんな様子だ。毎日世野くんが放課後にどこで何をしているかはファンの間でも議論の的になっていた。

 少し気になる……って、今はそれどころじゃなくて。

 あたしは思考を切り替え、勢いよく教室を飛び出した。

<第4回に続く>